にかこまれ、庭は常に陽の目を見ず、松籟のしゞまに沈み、鴉と梟の巣の中であつた。
 私は母のゐる家が嫌ひで、学校から帰ると夜まで外で遊ぶけれども雨が降れば仕方がないので、さういふときは女中部屋へもぐりこむ。女中部屋は屋根裏で、寺の建築の屋根裏だから、どの部屋よりも広く陰気で、おまけに梁の一本が一間あまり切られたところがあり、これは坊主の学校のとき生徒の一人が首をくゝり、不吉を怖れてその部分だけ梁を切つたといふ因縁のものだ。尤もその切口もまつたく煤けて同じ色の黒さで、切つた年代の相違などといふものもすでに時間の底に遠く失はれてゐるのであつた。この屋根裏は迷路のやうに暗闇の奥へ曲りこんでをり、私は物陰にかくれるやうにひそんで、講談本を読み耽つてゐたのである。雪国で雪のふりつむ夜といふものは一切の音がない。知らない人は吹雪の激しさを思ふやうだが、ピュウ/\と悲鳴のやうに空の鳴る吹雪よりも、あらゆる音といふものが完全に絶え、音の真空状態といふものゝ底へ落ちた雪のふりつむ夜のむなしさは切ないものだ。あゝ、又、深雪だなと思ふ。そして、さう思ふ心が、それから何か当のない先の暗さ、はかなさ、むなしさ、そんなものをふと考へずにゐられなくなる。子供の心でも、さうだつた。私は「家」そのものが怖しかつた。
 私の東京の家は私の数多い姉の娘達、つまり姪達が大きくなつて東京の学校へはいる時の寄宿舎のやうなものであつたが、この娘達は言ひ合したやうに、この東京の小さな部屋が自分の部屋のやうで可愛がる気持になるといふ。田舎の家は自分の部屋があらゆる部屋と大きくつながり、自分だけの部屋、といふ感じを持つことができないのだ。そしてその大きな全部、家の一つのかたまりに、陰鬱な何か漂ふ気配があつた。それは家の歴史であり、家に生れた人間の宿命であり、溜息であり、いつも何か自由の発散をふさがれてゐるやうな家の虫の狭い思索と感情の限界がさし示されてゐるやうな陰鬱な気がする。
 別して少年の私は母の憎しみのために、その家を特別怖れ呪はねばならなかつた。
 中学校をどうしても休んで海の松林でひつくりかへつて空を眺めて暮さねばならなくなつてから、私のふるさとの家は空と、海と、砂と、松林であつた。そして吹く風であり、風の音であつた。
 私は幼稚園のときから、もうふら/\と道をかへて、知らない街へさまよひこむやうな悲しさに憑
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