こへ置いてもどうせたかゞ標準にすぎないではないか。私はたゞ、私のこの標準が父の姿から今日に伝流してゐる反感の一つであることを思ひ知つて、人間の生きてゐる周囲の狭さに就て考へ、そして、人間は、生れてから今日までの小さな周囲を精密に思ひだして考へ直すことが必要だと痛感する。私は今日、政治家、事業家タイプの人、人の子の悲しみの翳《かげ》をもたない人に対しては本能的な反撥を感じ一歩も譲らぬ気持になるが、悲しみの翳に憑かれた人の子に対しては全然不用心に開け放して言ひなり放題に垣を持つことを知らないのである。
父は幼い心を失つてゐた。然しそれは健康な人の心の姿ではないので、父は晩年になつて長男と接触して子供の世界を発見しその新鮮さに驚くやうになつた。洋画を見たり、登山趣味だの進歩的な社会運動だの、さういふものに好奇の目を輝やかせるやうになつたのだが、それはもうたゞ知らない異国の旅行者の目と同じことで、同化し血肉化する本当の素直さは失つてゐる。彼自らの本質的な新鮮さはなかつたのである。
私は私の心と何の関係もなかつた一人の老人に就て考へ、その老人が、隣家の老翁や叔父や学校の先生よりも、もつと私との心のつながりが稀薄で、無であつたことを考へ、それを父とよばなければならないことを考へる。墨をすらせる子供以外に私に就て考へてをらず、自分の死後の私などに何の夢も托してゐなかつた老人に就て考へ、石がその悲願によつて人間の姿になつたといふ「紅楼夢」を、私自身の現身《うつしみ》のやうにふと思ふことが時々あつた。オレは石のやうだな、と、ふと思ふことがあるのだ。そして、石が考へる。
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私は「家」といふものが子供の時から怖しかつた。それは雪国の旧家といふものが特別陰鬱な建築で、どの部屋も薄暗く、部屋と部屋の区劃が不明確で、迷園の如く陰気でだだつ広く、冷めたさと空虚と未来への絶望と呪咀の如きものが漂つてゐるやうに感じられる。住む人間は代々の家の虫で、その家で冠婚葬祭を完了し、死んでなほ霊気と化してその家に在るかのやうに形式づけられて、その家づきの虫の形に次第に育つて行くのであつた。
私の生れて育つた家は新潟市の仮の住宅であつたから田舎の旧家ほどだだつ広い陰鬱さはなかつたけれども、それでも昔は坊主の学校であつたといふ建築で、一見寺のやうな建物で、二抱へほどの松の密林の中
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