、実力をはみだしたところで勝敗を決し、最後の活を得ようとする。伝七郎との試合では相手が大きな木刀を持参したのに驚いた時に逆にそれを利用して素手で近づくという方法をあみだしている。小次郎の試合では、相手が鞘を投げすてるのを逃さなかったし、松平出雲守の御前試合では相手の油断に目をとめると挨拶の前に相手を打ち倒してしまった。
武蔵は試合に先立って常に細心の用意をしている。時間をおくらせて、じらしたり、逆をついて先廻りしたり、試合に当って心理的なイニシアチヴをとることを常に忘れることがなく、自分の木刀を自分でけずるというような堅実な心構えも失わないし、クサリ鎌に応じては二刀をふりかぶるという特殊な用意も怠らない。試合に当って常に綿密な計算を立てていながら、然し、愈々《いよいよ》試合にのぞむと、更に計算をはみだしたところに最後の活をもとめているのだ。このような即興性というものは如何程深い意味があってもオルソドックスには成り得ぬもので、一つごとに一つの奇蹟を賭けている。自分の理念を離れた場所へ自分を突き放して、そこで賭博をしているのである。その賭博には万全の用意があり、又、自信があったのかも知れ
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