ぶった刀なのだ。この機会を逃してならぬことを武蔵は心得ていた。なぜなら、小次郎に時間を許せば、彼も手練《てだれ》の剣客だから、振りかぶった剣形の中から冷静をとりもどしてくるからである。
 武蔵は急速に近づいて行った。大胆なほど間をつめた。小次郎は斬り下した。だが、小次郎の速剣は初太刀よりもその返しが更に怖しい。もとより武蔵は前進をとめることを忘れてはいない。間一髪のところで剣尖をそらして、前進中に振り上げた木刀を片手打ちに延ばして打ち下した。小次郎は倒れたが、同時に武蔵の鉢巻が二つに切れて下へ落ちた。
 小次郎は倒れたが、まだ生気があった。武蔵が誘って近づくと果して大刀を横に斬り払ったが、武蔵は用意していたので巧みに退き袴《はかま》の裾《すそ》を三寸程切られただけであった。然しその瞬間木刀を打ち下して小次郎の胸に一撃を加えていた。小次郎の口と鼻から血が流れて、彼は即死をとげてしまった。

 武蔵は都甲太兵衛の「いつ殺されてもいい」覚悟を剣法の極意だと言っているが、彼自身の剣法はそういう悟道の上へ築かれたものではなかった。晩年の著『五輪書』がつまらないのも、このギャップがあるからで、彼の
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