違いになっているので、僕は『仰臥漫録』を読む手を休めて、なんべん笑ってしまったか知れなかった。(こんなことを書くと、渋川驍君の如く、不謹慎で不愉快極るなどというお叱言《こごと》が又現れそうだが、それでは、いっそ「なつかしい笑いであった」というような惨めな蛇足をつけたしてやろうか。まったく困った話である)
 然し、この話はただこれだけで、なんの結論もないのだ。なんの結論もない話をどうして書いたかというと、僕が大いに気負って青春論(又は淪落論)など書いているのに、まるで僕を冷やかすように、ふと、姪の顔が浮んできた。なるほど、この姪には青春も淪落も馬耳東風で、僕はいささか降参してしまって、ガッカリしているうちに、ふと書いておく気持になった。書かずにいられない気持になったのである。ただ、それだけ。

 僕は次第に詩の世界にはついて行けなくなってきた。僕の生活も文学も散文ばかりになってしまった。ただ事実のまま書くこと、問題はただ事実のみで、文章上の詩というものが、たえられない。
 僕が京都にいたころ、碁会所で知り合った特高の刑事の人で、俳句の好きな人があった。ある晩、四条の駅で一緒になって電車の
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