》千万な娘だったのに、二十一の年、原因の分らぬ自殺をとげてしまった。雪国のふるさとの沼へ身を投げて死んでいた。この自殺の知らせが来たときも、関節炎の娘は全然驚きもせず、又、喋りもせず、何を訊こうともしなかった。
その後、子規の『仰臥漫録』を読んだが、子規も姪と同じような病気であったらしい。場所も同じで、やっぱり腹部であった。子規の頃にはまだギブスがなかったとみえ、毎日|繃帯《ほうたい》を取換えている。繃帯を取換えるとき「号泣又号泣」と書いてある。姪の方もさすがに全身の苦痛を表す時があったが、泣いたことは一度もなかった。
明治三十五年三月十日の日記に午前十時「此日始メテ腹部ノ穴ヲ見テ驚ク穴トイフハ小キ穴卜思ヒシニガランドナリ心持悪クナリテ泣ク」とある。その日の午後一時には「始終ドコトナク苦シク、泣ク」とも書いてある。子規は大人だから泣かずにいられなかったのだろうが、娘の方は十一もある穴を見たとき、まったく無表情で、もとより泣きはしなかった。食事だけが楽しみで、毎日の日記に食物とその美味、不味ばかり書いている子規。何を食べても無言の娘。この二人の世界では、大人と子供がまったく完全に入れ
前へ
次へ
全72ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング