て一緒に踊る男ぐらい馬鹿に見えるものはない。あんまり低脳な馬鹿に見えて同性の手前僕がいささかクサっていると、真杉さんが僕に向いて、どうしてレビューの男達ってあんなに馬鹿に見えるのでしょうか、と呟《つぶや》いた。男には馬鹿に見えても、女の人には又別な風に見えるのだろうと考えていた僕は、真杉さんの言葉をきいて、女の人にもやっぱりそうなのかと改めて感じ入った次第である。
ところが、僕は一度だけ例外を見たのである。
それは京都であった。昭和十二年か十三年。京都の夏は暑いので、僕は毎日十銭握ってニュース映画館へ這入り、一日中休憩室で本を読んだりしていた。ニュース映画館はスケート場の附属で、ひどく涼しいのだ。あの頃は仕事に自信を失って、何度生きるのを止めにしようと思ったか知れない。新京極に京都ムーランというレビューがあって、そこへよく身体を運んだ。まったく、ただ身体を運んだだけだ。面白くはなかった。僕の見たたった一度の例外というのは、だから、京都ムーランではないのである。
京都ムーランよりももっと上手の活動小屋へ這入ったら、偶然アトラクションにレビューをやっていた。小さな活動小屋のアトラクシ
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