静を守るのだそうだ。
 その後、僕が小田原の松林の中に住むようになったら、近所|合壁《かっぺき》みんな肺病患者で、悲しい哉、彼等の大部分の人達は他の一切を放擲《ほうてき》して治病を以《もっ》て人生の目的とする覚悟がなく、何かしら普通人の生活がぬけきれなくて中途半端な闘病生活をしていることが直ぐ分った。菱山よりも遥かに軽症と思われた人達が、読書に耽ったり散歩に出歩いたりしているうちに忽ちバタバタ死んで行った。治病を以て人生の目的とするというのも相当の大事業で、肺病を治すには、かなり高度の教養を必要とするということをさとらざるを得なかったのだ。
 死ぬることは簡単だが、生きることは難事業である。僕のような空虚な生活を送り、一時間一時間に実のない生活を送っていても、この感慨は痛烈に身にさしせまって感じられる。こんなに空虚な実のない生活をしていながら、それでいて生きているのが精一杯で、祈りもしたい、酔いもしたい、忘れもしたい、叫びもしたい、走りもしたい。僕には余裕がないのである。生きることが、ただ、全部なのだ。
 そういう僕にとっては、青春ということは、要するに、生きることのシノニイムで、年齢もなければ、又、終りというものもなさそうである。
 僕が小説を書くのも、又、何か自分以上の奇蹟を行わずにはいられなくなるためで、全くそれ以外には大した動機がないのである。人に笑われるかも知れないけれども、実際その通りなのだから仕方がない。いわば、僕の小説それ自身、僕の淪落のシムボルで、僕は自分の現実をそのまま奇蹟に合一せしめるということを、唯一の情熱とする以外に外の生き方を知らなくなってしまったのだ。
 これは甚だ自信たっぷりのようでいて、実は之ぐらい自信の欠けた生き方もなかろう。常に奇蹟を追いもとめるということは、気がつくたびに落胆するということの裏と表で、自分の実際の力量をハッキリ知るということぐらい悲しむべきことはないのだ。
 だが然し、持って生れた力量というものは、今更悔いても及ぶ筈のものではないから、僕に許された道というのは、とにかく前進するだけだ。
 僕の友達に長島萃という男があって、八年前に発狂して死んでしまったけれども、この男の父親は長島隆二という往昔名高い陰謀政治家であった。この政治家は子供に向って、まともな仕事をするな、山師になれ、ということを常々説いていたそうで、
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