はない。

 宮本武蔵は吉岡一門百余名を相手に血闘の朝、一乗寺下り松の果し場へ先廻りして急ぐ途中、たまたま八幡様の前を通りかかって、ふと、必勝を祈願せずにいられない気持になり、まさに神前に額《ぬか》ずこうとして、思いとどまった。自力で勝ち抜かねばならないという勇猛心を駆り起したのである。
 僕はこの武蔵を非常にいとしいと思うけれども、これはただこれだけの話で、この出来事を彼の一生に結びつけて大きな意味をもたせることには同感しない。武蔵のみではないのだ。如何なる神の前であれ、神の前に立ったとき何人が晏如《あんじょ》たり得ようか。神域とかお寺の境内というものは閑静だから、僕は時々そこを選んで散歩に行くが、一片の信仰もない僕だけれども、本殿とか本堂の前というものは、いつによらず心を騒がせられるものである。祈願せずにいられぬような切ない思いを駆り立てられる。さればといって本当に額ずくだけのひたむきな思いにもなりきれないけれども、こんなに煮えきらないのは怪しからぬことだから、今度から思いきって額ずくことにしようと思って、或日決心して氏神様へでかけて行った。愈々《いよいよ》となってお辞儀だけは済ましたけれども、同時に突然僕の身体に起ったギコチのなさにビックリして、やっぱり僕のような奴は、心にどんな切ない祈願の思いが起っても、それはただ心の綾《あや》なのだから実際に頭を下げたりしてはいけないのだと諦らめた。
 自殺した牧野信一はハイカラな人で、人の前で泥くさい自分をさらけだすことを最も怖れ慎んでいた人だったのに、神前や仏前というと、どうしても素通りの出来ない人で、この時ばかりは誰の目もはばからず、必ずお賽銭をあげて丁寧に拝む人であった。その素直さが非常に羨しいと思ったけれども、僕はどうしても一緒に並んで拝む勇気が起らず、離れた場所で鳩の豆を蹴とばしたりしていた。
 数年前、菱山修三が外国へ出帆する一週間ぐらい前に階段から落ちて喀血《かっけつ》し、生存を絶望とされたことがあった。僕も、もう、菱山は死ぬものとばかり思っていたのに、一年半ぐらいで恢復《かいふく》してしまった。菱山の話によると、肺病というものは、病気を治すことを人生の目的とする覚悟が出来さえすれば必ず治るものだ、と言うのであった。他の人生の目的を一切断念して、病気を治すことだけを人生の目的とするのである。そうして、絶対安
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