ので、父の武術にあきたらなかった武蔵は、自分の剣法をためすために、先ず父の勝った吉岡に自分も勝たねばならなかった。
 武蔵は約束の場所へ時間におくれて出掛けて行った。待ち疲れていた清十郎は武蔵を見ると直ちに大刀の鞘《さや》を払った。ところが武蔵は右手に木刀をぶらさげている。敵が刀を抜くのを見ても一向に立止って身構えを直したりせず、今迄歩いてきた同じ速度と同じ構えで木刀をぶらさげたまま近づいてくるのである。試合の気配りがなくただ近づいてくるので清十郎はその不用意に呆れながら見ていると、武蔵の速度は意外に早くもう剣尖のとどく所まで来ていた。猶予すべきではないので、清十郎はいきなり打ちだそうとしたが、一瞬先に武蔵の木刀が上へ突きあげてきた。さては突きだと思って避けようとしたとき、武蔵は突かず、ふりかぶって一撃のもとに打ち下して倒してしまった。清十郎は死ななかったが、不具者になった。
 清十郎の弟、伝七郎が復讐の試合を申込んできた。伝七郎は大力な男で兄以上の使い手だという話なのである。武蔵は又約束の時間におくれて行った。今度の試合は復讐戦だから真剣勝負だろうと思って武蔵は木刀を持たずに行ったが、行ってみると驚いた。伝七郎は五尺何寸もある木刀を持っていて、遠方に武蔵の姿を見かけるともう身構えているのである。武蔵は瞬間ためらったが直ぐ決心して刀を抜かず素手のまま今迄通りの足並で近づいて行った。伝七郎は油断なく身構えていたが、いつ真剣を抜くだろうかということを考えていたので気がついた時には、五尺の木刀が長すぎるほど武蔵が近づいていたのである。そのとき刀を抜けば武蔵は打たれたかも知れぬが、突然とびかかって、伝七郎の木刀を奪いとった。そうして一撃の下に打ち殺してしまったのである。
 吉岡の門弟百余名が清十郎の一子又七郎という子供をかこんで武蔵に果合《はたしあ》いを申込んだ。敵は多勢である。今度は約束の時間よりも遥かに早く出向いて木の陰に隠れていた。そこへ吉岡勢がやってきて、武蔵は又おくれてくるだろうなどと噂《うわさ》しているのが聞える。武蔵は大小を抜いて両手に持っていきなり飛びだして又七郎の首をはね、切って逃げ、逃げながら切った。敵が全滅したとき、武蔵がふと気がつくと、袖《そで》に弓の矢が刺さっていたが、傷は一ヶ所も受けていなかった。
 宍戸梅軒《ししどばいけん》というクサリ鎌の達人
前へ 次へ
全36ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング