傷口は下腹部から股のあたりで、穴が十一ぐらいあいていたそうだ。
八ツの年から病臥したきりで発育が尋常でないから、十九の時でも肉体精神ともに十三四ぐらいだった。全然感情というものが死んでいる。何を食べても、うまいとも、まずいとも言わぬ。決して腹を立てぬ。決して喜ばぬ。なつかしい人が見舞いに来てもニコリともせず、その別れにサヨナラも言わぬ。いつもただ首を上げてチョット顔をみるだけで、それが久闊《きゅうかつ》の挨拶であり、別離の辞である。空虚な人間の挨拶などは、喋る気がしなくなっているのであった。その代り、どんなに長い間、なつかしい人達が遊びにきてくれなくとも、不平らしい様子などはまったく見せない。手のかかる小さな子供があったので、母親はめったに上京できなかったが、その母親がやってきてもニコリともしないし、イラッシャイとも言わぬ。別れる時にサヨナラも言わず、悲しそうでもなく、思いつきの気まぐれすら喋る気持にはならないらしい。それでも、一度、朝母親が故郷へ立ってしまった夕方になって、食事のとき、もう家へついたかしら、とふと言った。やっぱり、考えているのだと僕は改めて感じた程だった。毎日、『少女の友』とか『少女|倶楽部《クラブ》』というような雑誌を読んで、さもなければボンヤリ虚空をみつめていた。
それでも稀に、よっぽど身体の調子のいいとき、東宝へ少女歌劇を見に連れて行ってもらった。相棒がなければそんな欲望が起る筈がなかったのだが、あいにく、そのころ、もう一人の姪が泊っていて、この娘は胸の病気の治ったあと楽な学校生活をしながら、少女歌劇ばかり見て喜んでいた。この姪が少女歌劇の雑誌だのブロマイドを見せてアジるから、一方もそういう気持になってしまうのは仕方がない。尤《もっと》も、見物のあと、やっぱり面白いとも言わないし、つまらないとも言わなかった。相変らず表情も言葉もなかったのである。それでも、胸の病の娘がかがみこんで、ねえ、ちょっとでいいから笑ってごらんなさい。一度でいいから嬉しそうな顔をしなさいったら。こら、くすぐってやろうか、などといたずらをすると、関節炎の娘の方はうるさそうに首を動かすだけだったが、それでも稀には、いくらか上気して、二人で話をしていることもあった。それも二言か三言で、あとは押し黙って、もう相手になろうともしないのである。胸の病の娘の方は陽気で呑気《のんき
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