れぐらいのものだとも思っていた。私は久須美が痩せているくせに肩幅がひろくそこの骨がひどくガッシリしており肋骨が一つ一つハッキリ段々になっている、腰の骨がとびだし、お尻の肉が握り拳ぐらいに小さく、膝の骨だけとびだして股の肉がそがれたように細くすぼまり脛には全くふくらみというものが失われてガサガサした棒になっている、その六尺の長い骨格を上から下、下から上、そんなものをぼんやり眺めていても、私は一日、飽かずくらしていられる。時にはそれが人体であり肋骨の段々であることも忘れて、楽器と遊ぶように指先で骨と凹みをつついたり撫でたり遊んでいる。私はまた、ねころびながら小さな鏡に私の顔をうつして眺めて、歯や舌や喉や、肩やお乳など眺めていても、一日を暮すことができる。私は退屈というものが、いわば一つのなつかしい景色に見える。箱根の山、蘆の湖、乙女峠、いったい景色は美しいものだろうか。もし景色が美しければ、私には、それは退屈が美しいのだ、と思われる。私の心の中には景色をうつす美しい湖、退屈という湖があり、退屈という山があり、退屈という森林があり、乙女峠に立つときには乙女峠という景色で、蘆の湖を見るときは蘆
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