女にかけてやる男もある。何かねえのか食べ物は、と人のトランクをガサガサ掻きまわすのを持主がポカンと見ているていたらくで、あっちに百人死んでる、あの公園に五千人死んでるよ、あそこじゃ三万も死んでら、命がありゃ儲け物なんだ、元気だせ、幽霊みたいな蒼白な顔で一家の者を励ます者、屍体の底の泥の中に顔をうずめて助かって這いだしてきたという男はその時は慾がなかったけれどもこうして避難所へ落着いてみると無一物が心細くて、かきわけた屍体に時計をつけた腕があったが、せめてあの時計を頂戴してくればよかったといっている。この男はまだ顔の泥をよく落しておらないけれども、大概似たような汚い顔の人たちばかり、顔を洗うことなんか誰も考えていない。
 私と女中のオソヨさんは水に浸した布団をかぶって逃げだしたが、途中に火がつき、布団をすて、コートに火がついてコートをすて、羽織も同じく、結局二人ながら袷《あわせ》一枚、無一物であったが、オソヨさんの敏腕で布団と毛布をかりてくるまり、これもオソヨさんの活躍で乾パンを三人前、といったって三枚だ、一日にたったそれだけ、あしたはお米を何とかしてあげる、と係りの者がいうので空腹だけ
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