な。そのあなたが、こともあろうに、いけません、同情ストライキ、それはいけない。あなたはあなたでなきゃアいけない。関取、そうじゃないか、サチ子夫人がかりそめにも浮気の大精神を忘れて、処女の美徳をたたえるに至っては、拙者はあなた、こんなところへワザワザ後始末に来やしませんや。私はあなたサチ子夫人を全面的に尊敬讃美しその性向行動を全面的に認める故に犬馬の労を惜しまぬのです。かかる熱誠あふるる忠良の臣民を歎かせちゃアいけねえなア」
 田代さんの執念があまり激しすぎるので、楽な気持になれない。私だったらノブ子さんとは違った意味で許す気持にならないけれども、ノブ子さんは田代さんを愛しもし尊敬もしているのだから、処女ぐらいに、ああまでエコジに守るのが私には分らない。私は実際は、こんなこと、ただうるさいのだ。
 その夜、田代さんたちが別室へ去ってから、
「え、サチ子さん。ノブ子さんは可哀そうじゃねえのかな」
「なぜ」
「だってムッツリ、ションボリ、考えこんでいたぜ。イヤなんだろう」
「仕方がないわ。あれぐらいのこと。いろいろなことがあるものよ、女が一人でいれば」
「ふーん。いろいろなことって、どんなこと」
「いろんな人が、いろんなふうに口説くでしょう」
「そういうものかなア。僕なんざ、めったに口説いたことも口説かれたこともないんだがな。だけど、あれぐらいムッツリと思いつめて考えてるんじゃア」
「あなただって私をずいぶん悩ましたじゃないの」
「なるほど、そうか。そして結局こんなふうになるわけか」
「罰が当るって、なによ」
「なんだい? 罰が当るって」
「いつか、あなた、いったでしょう。オメカケが浮気してロクなことがあったタメシがないんだって。罰が当るんだって。罰が当るって、どんなこと?」
「そんなことをいったかしら。覚えがねえな。だって、お前、お前は別だ」
「なぜ。私もオメカケの浮気ですもの」
「お前は浮気じゃないからな。心がやさしすぎるんだ」
「たいがいのオメカケがそうじゃないの?」
「もう、かんべんしてくれ。僕はしかし、お前を苦しめちゃアいけねえから、フッツリ諦めよう。これからはもう相撲いちずにガムシャラにやってやれ。しかし、お前のことを思いださずに、そんなことができるかな」
「私は思いださない」
「僕がもうそんなに何でもないのか」
「思いだしたって、仕方がないでしょう。私は思いだすのが、きらい」
「お前という人は、私には分らないな」
「あなたはなぜ諦めたの?」
「だってお前、僕は貧乏なウダツのあがらねえ下ッパ相撲だからな。お前は遊び好きの金のかかる女だから」
「諦められる」
「仕方がねえさ」
「諦められるなら、大したことないのでしょう。むろん、私も、そう。だから、私は、忘れる」
「そういうものかなア」
「つまらないわね」
「何がさ」
「こんなことが」
「まったくだな。味気ねえな。僕はもう生きるのも面倒なんだ」
「そんなことじゃアないのよ。私は生きてることは好きよ。面白そうじゃないの。また、なにか、思いがけないようなことが始まりそうだから。私は、ただ、こんなことがイヤなのよ」
「こんなことって?」
「こんなことよ」
「だから」
「しめっぽいじゃないの。ない方が清潔じゃないの。息苦しいじゃないの。なぜ、あるの。なければならないの。なくて、すまないことなの?」
 エッちゃんは答えなかったが、ノッソリ起きて、閉じられた雨戸をあけて庭下駄を突ッかけて外へでて行った。闇夜なのだか月夜なのだか、私は外のことなど見も考えもしなかったが、エッちゃんは程へて戻ってきて私の胸の上へ大きな両手をグイとついた。力をいれたわけではないのだろうけど、私はウッと目を白黒させたまま虚脱のてい、エッちゃんは私の肩にグイと手をかけて掴み起して、
「オイ、死のう。死んでくれ」
「いや」
「もう、いけねえ、そうはいわせねえから」
 私はいきなり軽々と掴みあげられ、担がれてしまった。私はやにわに失神状態で、何の抵抗もなくヒョイと肩へ乗せられてしまったが、首ったまにかじりつくと、何だかわけの分らないような一念が起って、
「いいの、私は悲鳴をあげるから、人殺しッて叫ぶから、それでもいいの」
 雨戸を押しひろげるためにガタガタやるうち片手を長押《なげし》にかけて、
「我を通すのは卑怯じゃないの。私は死ぬことは嫌いよ。そんな強要できて? 死にたかったら、なぜ、一人で死なないの」
 エッちゃんは、やがて蒸気のような呻き声をたてて、私を雨戸の旁へ降して、庭下駄はいて外の闇へ歩き去った。私は声をかけなかった。
 私は眠るときでも電燈を消すことのできない生れつきであった。戦争中でも豆電球をつけなければ眠られぬたちで、私は戦争で最も嫌いなのは暗闇であった。光が失われると、何も見えないからイヤだ。夜中
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