うであった。
僕が外来患者の診察を見学したとき、十人くらいは分裂病であったが、どうです、驚いたでしょう、という千谷さんに答える僕の言葉は、いゝえ、ということだけであった。
一人の患者をのぞいて、あとは極めて有りふれた、僕の見馴れた人達であった。僕らのような文士稼業をしていると、殆ど毎日のように見知らぬ青年が訪ねてくる。それらの何分の一かは、明らかに現在分裂病と云われている者であり、東大神経科の外来室に居る患者と異るところがなかったのである。
対坐したまま三十分も喋らずにいて、どうしても喋る言葉が浮かびません、と悄然と帰って行く青年。履歴書や身分証明書のような色々の物を取り揃えてやって来て就職を頼み、紹介状を書いてやり、宛先の雑誌社に電話をかけておいてやるのに、姿を見せず、一ヶ月ほどすぎて、又、悄然と現れて、どうしても行けなかった心境をのべて、重ねて同じ紹介を依頼し、そういうことが綿々と重複する青年。原稿を読んでくれと送ってよこし、その翌日には恥しいから焼却してくれと電報をよこし、又、その翌日には、あれはたしかに傑作だから読んでくれと電報をよこし、その翌日は、やっぱり焼いてくれと電
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