って、健康をとり戻して後は、むしろ五人の合部屋へ入院しなかったことを残念だと思った。僕は彼らの生態をこまかく観察する条件を失ってしまったのである。
 然し、廊下や洗面所や便所で、狂躁にみちており、無礼であり、センスを失い、ガサツな人々はむしろ概ね附き添いたちであり、患者は静かで、慎んでいるのが普通であった。

 僕の入院が知れ渡ると、新聞記者が写真班同伴で十何組も乗りつけて、千谷さんは、撃退するに手こずられた由であった。すると、僕が麻薬中毒だという説がとび、警視庁の三人の麻薬係が現れ、千谷さんはカルテを見せて説得するのに二時間もかかったとこぼしておられた。
 すると今度は、僕が精神病院の三階から飛び降り自殺をしたというデマで、又、十何組という写真班同伴の新聞記者に病院が大迷惑をかけられたが、その時、某新聞の記事に曰く、病院側が僕と記者との面接を拒否したことから次第にデマが生じた、と書いていた。
 こういう記事を書く社会部記者の教養を疑わざるを得ない。精神病患者の発病当時の苦痛というものは、他人と面会などのできる性質のものではないのである。数日間食事をとることもできず(肉体的にその機能を
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