の作為が考えられるではないか」
つまりその説の真の意味は、十二時五分から十分までの電話のかかってきた時刻に射殺されたもので、計画的な電話だとの考えであるらしかった。
ところが久子以外にその電話をきいた者がない。きいたものがいないから久子が取次にでたのであろうが、この電話を十二時五分から十分までと仮定すると、すくなくとも二度目の電話は木曾がきいていそうなものだ。
アケミと文作が玄関をでたとき正午のサイレンが鳴った。二人は坂を降る途中で木曾とすれちがっている。そこまでは二分ぐらいの道だ。木曾は自転車を押して坂道を登ったのだが、登り道にしてもそれから三四分で家へ到着したはずである。
電話は大広間の台所よりのところに設備されており、台所の戸口の外でマキ割りをしている木曾の耳にきこえるのが普通である。
「僕は自転車を押し上げる普通の速力で登ってきました。神社の前でサイレンをきいたのから判断して、十二時五分か六分ぐらいには裏口へ到着したかも知れませんね。しかし、マキを運んできたり割ったりしているときに電話の音なぞ、きこえません。いま皆さんは電話の鳴るのを予期しているから聞えるのですが、無心
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