えた。やがて苦笑して、首を横にふった。
「御依頼に応じかねますな。たった四間の掘立小屋ですよ。ウチの家族だけで、はみだしてしまいますよ」
「軽井沢でも結構ですが」
「あれは人に貸しています」
 野口は嘘をついた。
 彼は軽井沢と伊東に別荘を持っていた。それは彼の多年の夢想であった。夏は北方の山荘に暑気をさけ、冬は南海の別荘に正月をむかえる。
 その夢が手ごたえもなく実現してしまったのだった。
 軽井沢は住みてを失い安値に売りにでたのを買ったもので、中流の立派な別荘であった。
 伊東には手ごろの別荘の売物がなかったが、温泉のでる土地を買った。そこは駅から成年男子で四十分以上も平野の奥へ行きつめたところで、わずかな平地を残して三方は山にかこまれ、人家はほとんどなかった。
 畑の中に温泉が湧きでていた。その野天温泉と、それを中心にした二町歩ほどの田畑を買った。
 伊東の駅にちかいところは人家が密集して、もう発展の余地がない。未来の繁栄は奥手の発展にかかっている。奥へ行くほど泉質もよかった。
 今は人煙まれなドンヅマリだが、戦争がすんで遊山気分がおこると、遊楽地帯の発展ぐらい急速なものはない。野口は思惑をはたらかせて、土地ぐるみ温泉を買った。ゆくゆく大旅館をたてて、儲けながら温泉気分にひたろうというモクロミであるから、当座のしのぎに小さな別荘をつくった。留守番をおいて田畑をつくらせ、鶏を飼い、戦争中の栄養補給基地に用いるという一石二鳥の作戦でもあった。
 しかし、伊東の駅へ降りて、袋小路のような平野が山に突き当るドンヅマリまで四五十分の道中をてくっていると、戦争に勝って気違い景気が津々浦々にみなぎっても、伊東の繁栄がここまで延びるには、目の玉の黒さの方がオボツカナイような気持になる。又、それだから、温泉ぐるみ二町の田畑を安く買うこともできたのである。
 亮作もこの別荘へ一度だけ招待されたことがあった。なるほど当座しのぎの安普請で、部屋数は四間しかなかった。
 鶏小屋が二つあった。大きい小屋に二三十羽の鶏が飼われ、小さい方は廃屋になっていた。亮作はセッパつまって、それを思いだした。もう何でもいいというヤケであった。
「たしか鶏小屋が一つ、あいてましたね」
「ハ? なんですか」
「鶏小屋が一つ、あいてましたね」
「ハア。鶏小屋ですか。あいています。それが、どうしたというのですか
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