ことがなくなつてゐた。それすらも、満々たる自信があつて、すでに微塵も不安はないといふ様子である。「お弁当を持つたり、サイダーを持つたり、チョコレートまで貰つて、まるで遠足に行くやうだ」と、あなた方は勇んで艇に乗込んだ。然し、出陣の挨拶に、行つて来ます、とは言はなかつた。ただ、征きます、と言つたのみ。さうして、あなた方は真珠湾をめざして、一路水中に姿を没した。
十二月六日の午後、大観堂から金を受取つて、僕は小田原へドテラを取りに行く筈であつた。三好達治の家へ置いたドテラや夜具が夏の洪水で水浸しとなり、それをガランドウが乾してくれた筈であつた。ガランドウは正確に言へばガランドウ工芸社の主人で、看板屋の親爺。牧野信一の幼友達でもあり、熱海から辻堂にかけて、東海道を股にかけて、看板を書きに立廻つてゐる。僕はこの男の書体を呑込んでゐるから、東海道の思はぬ所で彼の看板に会見して、噴きだしてしまふことがある。時には「酉水」などゝ雅号のやうなものを書込んでおくことがある。「酉水」は合せて一字にすると「酒」になるのだが、怪しげな雅号である。尤も、本人は年中こんな雅号を称してゐるわけではない。たま/\
前へ
次へ
全23ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング