牙を騒がせ、天気晴朗なれども波高し、である。だから、この日は漁ができず、国府津にも、二の宮にも、地の魚はなかつた。国府津では、兵隊を満載した軍用列車が西へ向つて通過した。
国府津でバスを乗換へて、二の宮へ行く。途中で降りて、禅宗の寺へ行つた。ガランドウの縁《ゆか》りの人の墓があつて、命日だか何かなのである。寺の和尚はガランドウの友人ださうだ。ガランドウは本堂の戸をあけて、近頃酒はないかね、と、奇妙な所で奇妙なことを大きな声で訊ねてゐる。本堂の前に四五尺もある仙人掌《さぼてん》があつた。墓地へ行く。徳川時代の小型の墓がいつぱい。ガランドウの縁りの墓に真新しい草花が飾られてゐる。そこにも古い墓があつた。ガランドウは墓の周りのゴミ箱を蹴とばしたり、踏みにぢつたりしてゐたが、合掌などはしなかつた。てんで頭を下げなかつたのである。
ガランドウは足が速い。墓地の裏を通りぬけて、東海道線へでる。今に面白いものが有るだよ、と振向いて言ふ。二の宮では複々線の拡張工事中で、沿道に当つてゐたさる寺の墓地が買収され、丁度、墓地の移転中なのである。ガランドウはそこが目的であつたのだ。
成程、墓地は八方に発掘されてゐた。土と土の山の間に香煙がゆれ、数十人が捻鉢巻で祖先の墓に鍬をふるつてゐる。一丈近くも掘りさげて、やうやく骨に突き当つたゞよ、と汗を拭いてゐる一組もある。この近郷は最近まで土葬の習慣であつたから、新仏の発掘に困《こう》じ果てゝゐる人々もあつた。
ガランドウは骨の発掘には見向きもしなかつた。掘返された土の山を手で分けながら、頻りに何か破片のやうなものを探し集めてゐる。こゝは土器のでる場所だで、昔から見当つけてゐたゞがよ、丁度、墓地の移転ときいたでな。ガランドウは僕を振仰いで言ふ。
「これは石器だ」
土から出た三寸ぐらゐの細長い石を、ガランドウは足で蹴つた。やがて、破片を集めると、やゝ完全な土瓶様のものができた。壺とも違ふ。土瓶様の口がある。かなり複雑な縄文が刻まれてゐた。然し、目的の違ふ発掘の鍬で突きくづされてゐるから、こまかな破片となり、四方に散乱し、こくめいに探しても、とても完全な形にはならない。
捻鉢巻の人達がみんなガランドウのまはりに集つて来た。
「俺が掘つたゞけんどよ。知らないだで、鍬で割りもしたしよ、投げちらかしたゞよ。方々に破片があるべい。無学は仕方がないだよ。なあ」
と、鼻ひげの親爺が破片をなでまはして残念がつてゐる。
「三四尺ぐらゐの下から出たべい」
「さう/\。四尺ぐらゐの所よ」
「今度あつたらよ。手で丁寧に掘りだすだよ」
ガランドウはかう言ひ残して、僕達は墓地をでた。ガランドウは土器の発掘が好きなのである。時々、鍬をかついで、見当をつけた丘へ発掘にでかける。ガランドー・コレクションと称する自家発掘のいくつかの土器を蔵してゐる。尤も、コレクションを称する程のものではない。小田原界隈の海にひらけた山地には原住民の遺跡が多いのである。
二の宮の魚市場には二間ぐらゐの鱶が一匹あがつてゐた。目的の魚屋へついたが、地の魚は、遂に、一匹もなかつた。日が悪いだ。こんな日に魚さがす奴もないだよ、と魚屋の親爺は耳のあたりをボリ/\掻いてゐたが、然し、鮪をとつておいてくれた。鮪一種類しかなかつたのである。
魚屋の親爺は労務者のみに特配の焼酒をだして、みんな僕達に飲ませた。サイダーで割つて飲むと、焼酒も乙なものである。ガランドウから伝授を受けた飲み方のひとつだ。そのとき、丁度、四時半であつた。太陽が赤々と沈もうとし、魚屋の店頭は夕餉の買出しで、人の出入が忙しい。異様な二人づれが店先でサイダーに酔つ払つて鮪の刺身を食つてゐるから、驚いて顔をそむける奥さんもゐる。
必ず、空襲があると思つた。敵は世界に誇る大型飛行機の生産国である。四方に基地も持つてゐる。ハワイをやられて、引込んでゐる筈はない。多分、敵機の編隊は、今、太平洋上を飛んでゐる。果して東京へ帰ることができるであらうか。汽車はどの鉄橋のあたりで不通になるであらうか。そのときは、鮪を噛りながら歩くまでだ、と考へてゐた。ナッパ服の少年工夫が街燈の電球を取り外してゐる。ガランドウはどこからか一束の葱の包みを持つてきて、刺身にして残つた奴はネギマにするがいゝだ、と言つた。丁度、夜が落ちきつた頃、二の宮のプラットフォームでガランドウに別れた。僕は焼酒に酔つてゐた。
十二月八日午後四時三十一分。僕が二の宮の魚屋で焼酒を飲んでゐたとき、それが丁度、ハワイ時間月の出二分、午後九時一分であつた。あなた方の幾たりかは、白昼のうちは湾内にひそみ、冷静に日没を待つてゐた。遂に、夜に入り、月がでた。あなた方は最後の攻撃を敢行する。アリゾナ型戦艦は大爆発を起し、火焔は天に沖《ちゅう》して、灼熱し
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