た鉄片は空中高く飛散したが、須臾《しゅゆ》にして火焔消滅、これと同時に、敵は空襲と誤認して盲滅法の対空射撃を始めてゐた。遠く港外にゐた友軍が、これを認めたのである。
日本時間午後六時十一分、あなた方の幾たりかは、まだ生きてゐた。あなた方の一艇から、その時間に、襲撃成功の無電があつたのである。午後七時十四分、放送途絶。あなた方は遂に一艇も帰らなかつた。帰るべき筈がなかつたのだ。
十二月十日には、プリンス・オブ・ウェールスとレパルスが撃沈された。この襲撃を終へた海軍機が戻つて来たとき、同じ飛行場を使用してゐた陸軍航空隊の人達は我を忘れて着陸した飛行機めがけて殺到してゐた。プロペラの止つた飛行機から降りて来たのは、いづれも、まだうら若い海鷲であつた。降りるやいなや、いづれも言ひ合したやうに、愛機を眺めながらその周囲をぐるりと一周し、機首へ戻つてくると、愛機の前へドッカと胡坐《あぐら》を組んでしまつた。眼を軽くとぢ、胸をグッと張つて、大きく呼吸をしたが、たゞ一言「疲れた」と言つたさうだ。これは一陸軍飛行准尉の目撃談であつた。必死の任務をつくした人は、身心ともに磨りきれるほど疲労はするが、感動の余裕すらもないのであらう。
話はすこし飛ぶけれども、巴里・東京間百時間飛行でジャビーが最初に失敗したあと、これも日本まで辿りつきながら、土佐の海岸へ不時着して恨みを呑んだ二人組があつた。僕はもう名前を忘れてしまつたけれども、バルザックに良く似た顔の精力的なふとつた男で、バルザックと同じやうに珈琲が大好物で、飛行中も珈琲ばかりガブ/\呑んでゐたといふ人物である。フランスの海岸は大体に飛行機が着陸できるほど土質が堅いものだから、日本の海岸も同じやうに考へて、砂浜へ着陸し、海中に逆立ちしてしまつたのである。このとき近くにゐた一人の漁師が先づまつさきに駈けつけた。逆立ちした飛行機からは大きな異国の男が一人だけ這ひだして来て、手をうしろに組み、海岸を十歩ばかり歩いて行つては、又、戻つてゐる。漁師の近づいたことも気付かぬ態で、同じ所をたゞ行つたり戻つたりしてゐるのである。漁師は言葉が通じないので、一本と二本の指をだして見せて、一人か二人かといふことを訊いた。すると異国の男もその意味を解して、二本の指を示して答へた。漁師は驚いて逆立ちの飛行機に乗込み、傷ついた機関士を助け出して来たのであつた。
この飛行家も死の危険を冒して、たゞ東京をめざして我無者羅に飛んで来た。百時間に近い時間、満足に睡眠もとつてゐない。たゞ、東京。それが全てゞあつたのだ。普通の不時着の飛行機なら、先づ飛び降りて、住民の姿を認めれば、それに向つて駈けだすのが当然である。ところが彼は漁師の近づいたことも気付かなかつた。救ひを求めることも念頭になかつた。生死を共にした友人のことすら忘れてゐた。さうして、たゞ、同じ海辺を行つたり戻つたりしてゐたのである。
生命を賭した一念が虚しく挫折したとき、この激しさが当然だと思はずにはゐられない。これが仕事に生命を打込んだときの姿なのである。非情である。たゞ、激しい。落胆とか悲しさを、その本来の表情で表現できるほど呑気なものは微塵もない。畳の上の甘さはかういふ際には有り得ないのだ。
潜水艦が敵艦を発見して魚雷を発射したときは、敵艦の最も危険な時でもあるが、同時に、潜水艦自身も最も危険にさらされてゐる時である。けれども、潜水艦乗りは、自分の発射した魚雷の結果を一秒でも長く確めたいといふ欲望に襲はれる。魂のこもつた魚雷である。魂が今敵艦に走つてゐる。彼等は耳をすます。全てが耳である。爆音。見事命中した。すると、より深い沈黙のみが暫く彼等を支配する。言葉も表情もないさうである。
あなた方も亦、そのやうであつたと僕は思ふ。爆発の轟音が湾内にとゞろき、灼熱の鉄片が空中高く飛散した。然し、須臾にして火焔消滅、すでに敵艦の姿は水中に没してゐる。あなた方は、ただ、無言。然し、それも長くはない。
真珠湾内にひそんでゐた長い一日。遠足がどうやら終つた。愈々あなた方は遠足から帰るのである。死へ向つて帰るのだ。思ひ残すことはない。あなた方にとつては、本当に、ただ遠足の帰りであつた。
十二月八日に、覚悟してゐた空襲はなかつた。
三月四日の夜になつて、警戒警報が発令された。その時もその前日の同人会から飲み始めて、僕はいくらか酔つてゐた。大井広介、三雲祥之助の三人で浅草を歩き、金龍館へ這入らうかなどゝその入口で相談してゐるところであつた。浅草の灯が消え、切符売場の窓口からも光が消えた。ぶら/\歩きだすと、飛行機の音がきこえる。敵機かね? 立止つて空を仰いだ。すると街角にでゝ話してゐた三人のコックらしい人達が振向いて
「いや、あれはうちのモーターの音ですよ。あいつ、止め
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