も進みうる人は常人ではない。まして、それが、一時の激した心ではなく、冷静に、一貫した信念によつて為された時には、偉大なる人と言はねばならぬ。思想を、義務を、信仰を、命を捨てゝもと自負する人は無数にゐるが、然し、そのうちの何人が、死に直面し、死をもつて迫られても尚その信念を貫いたか。極めて小数の偉大なる人格が、かゝる道を歩いたにすぎないのである。
 ふだん飲んだくれてゐたつてイザとなれば命を捨てゝみせると考へたり、ふだんジメジメしてゐたのではいざ鎌倉といふ時に元気がでるものか、といふ考へは、我々が日常口にしやすい所である。僕は酒飲みの悪癖で、特に安易に、このやうな軽率な気焔をあげがちである。
 けれども、我々が現に死に就て考へてはゐても、決して死に「直面」してはゐないことによつて、この考への根柢には決定的な欺瞞がある。多分死にはしないだらうといふ意識の上に思考してゐる我々が、その思考の中で如何程完璧に死の恐怖を否定することが出来ても、それは実際のものではない。
 あなた方は、いはゞ、死ぬための訓練に没入してゐた。その訓練の行く手には、万死のみあつて、万分の一生といへども、有りはしなかつた。あなた方は、我々の知らない海で、人目を忍んで訓練にいそしんでゐたが、訓練についてからのあなた方の日常からは、もはや、悲愴だの感動だのといふものを嗅ぎだすことはできない。あなた方は非常に几帳面な訓練に余念なく打込んでゐた。さうして、あなた方の心は、もう、死を視つめることがなくなつたが、その代りには、あなた方の意識下の確信から生還の二字が綺麗さつぱり消え失せてゐたのだ。我々には夢のやうに掴みどころのない不思議な事実なのである。戦場の兵隊達は死の不安を視つめてゐても、意識下の確信には常に生還の二字があつて、希望の灯をともしてゐる筈なのだ。ところが、あなた方は余念もなく訓練に打込み、もう、死を視つめることがなかつたのに、あなた方のあらゆる無意識の隅々に至るまで、生還の二字が綺麗に拭きとられてゐたのである。あなた方は門出に際して「軍服を着て行くべきだが、暑いから作業服で御免蒙らう」などと呑気なことを言つてゐた。死以外に視つめる何物もないあなた方であるゆゑ、死はあなた方の手足の一部分になつてしまつて、もはや全然特別なものではなかつたのだらう。あなた方は、たゞ、敵の主力艦に穴をあけるだけしか考へる
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