出家物語
坂口安吾
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)屡々《しばしば》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]か
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)グニャ/\
−−
幸吉の叔母さんに煙草雑貨屋を営んでいる婆さんがあって、御近所に三十五の品の良い未亡人がいるから、見合いをしてみなさい、と言う。インテリで美人で、三十ぐらいにしか見えない。会社の事務員をして二人の子供を女手で育てゝいるが、浮いた噂もない。幸吉にはモッタイない人だけれども、あるとき叔母さんに、事務員じゃ暮しが苦しいから、オデン屋の小さい店がもちたい、と言った。それで、ふと気がついて、
「私の甥がオデン屋をしているから、そこで働いてみちゃ、どうですか。マーケットの小屋を借りるたって二万三万はかゝりますし、素人がいきなりやれるものでもありませんよ。私の甥といったって、もう五十ですけど、戦災で女房子供をなくしちゃって、どうですか、奥さん、いっそ、一緒になッちゃア。こう云っちゃ、なんですけど、この節は氏も素性もありゃしませんわよ。学問があったって、お金がもうかるわけじゃなし、あの野郎なんざ、二十年から屋台のオデン車をひっぱって歩きやがって、いくらのカセギもないくせに大酒はのみやがる、酔っ払って、のたくり廻りやがる。カミサンと餓鬼どもはヒドイ目にあったものですよ。それがあなた、戦争からこっち、菜ッパの切れッパシに猫のモツなんか入れて並べておきゃ幾つお鍋の山をつんでも売り切れちゃうんだから、アレヨアレヨというもんですよ。犬でもドブ鼠でもモグラモチでも、肉気のものなら、みんなキザンでコマ切れにすりゃ百円札に化けちゃうでしょう、カミサンなんざ鼠の皮をむくだけでテンテコ舞をしているうちに焼かれて死んじゃってネ。面白い目一つしないでバカを見たものですわヨ。涙もかわかないうちに、焼ければ、売れる、負ければ売れる、物価が上がりゃ尚うれる、夢みたいのもんよ。野郎ボンヤリしやがって、たゞもうむやみにボリゃ、もうかるんだからね、霞ヶ浦のワカサギだって、こんなに釣れやしないわヨ。カミサン子供の焼死なんざ、ボロもうけの夢心持のマンナカにはさまったサンドイッチみたいなものさ。あの野郎、百万と握りやがったんですよ。この節は、年増の芸者、若い妓、芸者の二三人も妾にもちやがって、二十万の新築して、それであなたお金の減り目が分らないてんだから、奥さん、この節、お嫁に行くなら、こういうところへ行きなさい。お客にはモグラモチを食わせたって、自分じゃア※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]かロースかなんかでなきゃ食いやしませんからネ。あの野郎と結婚するわけじゃない、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]やロースや蒲焼や天ぷらと、結婚すると思や、この節はもう、これに限るのよ。野郎なんざ、どうだって、栄養失調にならなきゃ、いいのヨ。ネエ、そうだわヨ、奥さん」
こう言われてキヨ子も、じゃア見合いしましょう、ということになった。
幸吉は立派な新築したけれども、うちで営業するわけじゃなく、今もって昔ながらの屋台をだしている。結局これが、婆さん流にアレヨアレヨともうかる。尤も幸吉は足まめだから、自転車で浦安あたりを往復して、同業者へヤミの魚をうる、オメカケ連を活躍させて待合へうりこむ、酒、タバコ、衣類でも何でも扱う。小さい時からデッチにでたり、色々の商売に失敗したのがモトデになって、ともかく呉服物でも時計や材木や紙のことでも心得があった。芝居の道具方に四年働いていたことなども大変役に立っている。
その日は商売を休んで、例の※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]やロースや蒲焼や天ぷらを豊富に用意し、そっちの方が聟さんだとは知る由もなく、待っていると、婆さんがキヨ子をつれてきて、お酒がまわりかけたところで、じゃア、ごゆっくりと帰ってしまった。
なるほど叔母さんの言う通りの十人並を越えた美人で、第一、事務員をしているから、断髪洋装、姿もスラリとしていて、この年まで断髪洋装などにつきあったことがないから、外人を見るとみんな同じに見えるように、みんな女優に見えるのである。こっちは全然学がないのだから、
「エッヘッヘ」
幸吉はオデコをたゝいて、
「よろしく、お願いしやす。あたしゃ、御覧の通りの者なんで、清元と義太夫をちょいとやったゞけの無学文盲、当世風にゃカラつきあいの無い方なんで、先日も若い妓が、エッヘッヘ、ダンスをやりましょうなんて、御時世だからオジサンも覚えといて損はないわヨ、なんてネ、五六ぺんお座敷をぶらぶらと、然し、こうふとっちゃ、ビヤ樽みてえなものだから、ムリでさア。失礼ですが、ダンスなども、おやりでしょうな」
「えゝ、会社のオヒル休みにダンスのお稽古、みなさん、やるんですの。そのうちパーテーやるそうですけど、私あんまり趣味がないからヘタですわ」
「私の女房子供は戦災で焼け死んじゃったんですが、御主人は戦死なさったそうで」
「えゝ、とてもいゝ主人で可愛がってくれましたけど、全然ムッツリ黙り屋さんで、可愛がることしか知らない人なんですもの。毎日、満足で、たのしかったわ。あなたは年増の芸者や若い芸者や、たくさんオメカケがおありなんでしょう。たのしいわね。男の方は、うらやましいわ。うちの主人もよく遊んだ人ですけど、私も、時々、主人に遊びに行ってきて貰ったんですの」
「へえ、それは又、御奇特なことで。なぜでしょうかな」
女はウフヽと笑って答えない。幸吉は身の内が熱くなり、一膝のりだして、どうですか、泊って行きませんか、と言うと、えゝ、でも、泊るわけに行かないわ、うちに子供も待ってるし、見合いにきたゞけなんですもの、体裁が悪いでしょう、と言う。
幸吉も安心して、じゃア、まア、ひとねむり、つもる話だけ致しましょう、ということになって、めでたく契りをむすんだ。
「じゃア、もう、おそくなるから」
と云って、キヨ子が惜しげもなく立上って衣服をまといかけるのを、まだ宵のくちですよ、もう、ちょッと、と云って、幸吉は生れてこの方、こんな不思議な思いをしたことがない。死んだオカミサンも年増芸者も若い芸者も、昔遊んだ娼妓もオサンドンも、みんな一とからげに同じ女と見ることもできるけれども、キヨ子には全然風の変ったところがある。明るい電燈の下で、平気で裸体を見せて一枚一枚ゆっくり寸の足りないシャツみたいなものをつけるなどとは、たしなみのないことだけれども、そうかと思うと、遊びに就ては、娘のようにウブで激情的であった。芸者のようにスレているくせにタシナミだけ発達しているのに比べると、こっちの方がどんなにカザリ気がなくて、情が深いか知れない。そのうえ芸者の裸体などはカジカのように痩せていたり、反対にふとっていたり、着物の裾に隠れているからいいようなものゝ湯殿へ裾をまくって背中を流しにはいってくるのを見たゞけでも興ざめるほどの大根足であったりするのに、キヨ子の裸体は飾り窓の中の人形のように手脚がスクスクのびていて、白く、なめらかであった。顔を見ると、三十五の年齢が分るけれども、白いなめらかなスクスクとのびたからだには年齢がない。幸吉は見あきなかった。
いつまでも引きとめるわけに行かないので、幸吉も仕方なしに衣服をつけて、
「じゃア、なるべく早く式をあげよう。河岸の魚の値段がハネ上るほど盛大な催しをやろうじゃないか」
キヨ子は返事をせず、靴下をはいていたが、
「今夜のこと、オバさんに話しちゃ、いやよ」
「いゝじゃないか。どうせ一緒になるんだから」
「見合いの日にそんなこと、おかしいから、言っちゃ、いや。そんな人、きらいだわ」
「そうか、わるかった。それじゃア、誰にも言いやしないよ」
女を送って歩きながら、
「あすからでも、いゝや。式はあと廻しにして、すぐ来てくれてもいゝんだから。なんなら、二三日うちにだって、お祭みてえな式をあげるぐらい、わけのないことだから」
「結婚なんか、どうだって、いゝじゃないの。このまゝ、こうして、時々あうだけで、いゝじゃなくって」
キヨ子の声は涼しいものだ。幸吉は耳を疑って、
「だって、お前、結婚した方が、お前のためにも、いゝじゃないか。子供を二人かゝえて、事務員なんて、つらかろう。私のところじゃ、買いだしから、オデンの煮こみ、みんな私がやるんだから。私ゃ、ふとってビヤダルみたいだが、毎日自転車で十里ぐらい駈け廻って買ったものを売りさばいて、屋台の支度もして、仕事がすんで一パイのんで、梯子酒して、虎になって、それで、お前、手筈一つ狂わねえや。狂うのは虎の方ばっかり、然し、お前、どんなに大虎になったところで、翌日の仕事が、それで、これっぱかしも間に合わなかったということがないぜ。その代り、目がさめる、フツカヨイの痺れ頭にキューとひとつ注射しといて、ネジリハチマキで自転車をふむ、勢いあまってひっくらかえって向うズネすりむいたって二分と休みやしねえ。慾と仲よく道づれで働くから、この節は、それで疲れたということもねえや」
キヨ子はうつむいて、しばらく黙って歩いていたが、
「だってネ、夫が戦死して結婚するなんて、なんだか助平たらしくて、いやだわ。私、夫が出征してから、今まで。ねえ、だから、もう、ちょッと、ゆっくり、待とうよ。そんなに、いそいで、結婚なんて、言わなくっともいゝじゃないかと思うわ」
「そうかなア。それじゃア、なにかい、オメカケの方がいゝというのかい」
「いゝえ、うちに子供もいるし、間借りだから、うちへ来て貰っちゃ、こまるわ。会社の名刺あげといたでしょう。四時ぐらいまでいるから、電話をかけてね。でも、一週間ぐらいのうちに、私の方から、お邪魔に上るわ。それまで、待ってちょうだい。分ったでしょう」
「なるほど、そうかい。それじゃあ、気永に待つことにしよう。一週間ぐらいのうちに、待ってるぜ。四時から五時半まではウチにいるし、そのあとだったら、屋台にいるから、屋台の場所は分ったね」
「えゝ、じゃア、またネ。四五日うち、二三日のうちに、お伺いするかも知れないわ」
と云って別れた。
二三日うち、四五日うち、待つ身のつらさ。お客用の猫モツの代りにマグロの刺身だの肉鍋などを用意して、屋台にいても、女の通る姿を見かけるたびにドキリときて、気が気じゃない。五十オヤジのホテイ腹に粋筋が秘めてあるとは知る由もないお客が、握ると落付かなくなるもんじゃねえか、などと薄気味悪くニヤリとするが、オヤジは当節お客が物騒なピストルぐらい勘定代りに払いかねないということなどは頓着しないノボセ方であった。
とうとう七日目。入念に入浴して、朝は卵を五ツも飲み、昼には蒲焼、鳥モツ、夕食には柳川、スキ焼、用意をとゝのえ、当日は休業、屋台の方は用意なしという打込み方であったが、日が暮れても訪れがない。さては子供を寝せつけてから、などと十時十二時まで待ったが、そのころはもうヤケ酒の大虎となって、エイ、畜生め、二号のもとへシケ込みということになる。
八日、九日、十日になった。
あのとき五千か一万ぐらい軽く持たせてやればよかった。断髪洋装インテリ淑女とくると、つきあい方が分らないから、姫君みたいに尊敬したのが失敗のもとで、すぐ結婚というわけじゃない、いわばまア二号なみと先方がその気なのだから、そこに気がつかなかったのは大失敗であった。
幸吉は叔母さんを訪ねてみると、
「何言ってやんだい。二十三十の小僧じゃあるまいし、ハゲ頭のビヤ樽め。オクゲ様が乞食するというこの節に芸者遊びだなんて、きいた風なことをしやがって、惚れたハレタが、きいて呆れらア。オツケで顔でも洗って、出直してきやがれ」
というのに鼻薬を握らせると、
「じゃア、まア、ちょッと、行ってみてくるから」
と出て行ったが、しばらくして、戻ってくると、先ず目顔
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング