昏の神楽坂《かぐらざか》を菱山の家へと急いだ。私の声に菱山は書斎から飛び降りてきたが、私の顔色が悪いと言つて、いきなり顔を悲しく顰めた。彼の顔色は私よりも尚ひどかつた。二人はすぐ散歩に出た。
「お母さん、足袋をはく方がいいかしら? その方がいいね」
 彼は一人で頷きながら、私の前で足袋をはいた。
「お母さん、傘を持つてゆく方がいいかしら? あゝ、その方がいいね」
 彼は又頷きながら傘をだいじに小脇に抱えて出てきたが、一向天候なぞ気にかけずに、スタ/\歩きだした。雨の降りさうもない静かな黄昏であつた。
 レストランへはいると、酒の呑めない菱山は、突然女給を呼び寄せて私のためにビールを命じた。
「僕は少年のころ神経衰弱でね、燈台のある漁村へ保養に行つてゐたのだが……」
 彼は語りだした。
「燈台の硝子は罅《ひび》だらけなんだよ。それはね、夜になると、燈台の灯に向つて候鳥がまつしぐらに飛んできて、自らを光の塊まりに衝突せしめてね、頭を砕き、硝子に血しぶきを散らして、垂直にペルチカルマンにね、ペルパンヂキュレエルマンにね、暗闇の海へまつ逆様に墜落するのさ、鳥は愚かだよ。併《しか》し、僕らの一生
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング