気がして怖れをなしているのである。入浴の方はカンベン願って、サロンの編輯室で九州の名医のシンサツをうけた。お酒をのんでもよろしいという判決であった。さっそく、お医者様と泥酔した。
 そのころゼイムショからハガキをもらって精神分裂症にかゝっていたから、私は朝の散歩をヒルにのばして、集団見合見学にでかけた。
 門をでると、うちの女中が蒼ざめて駈けこんできた。用たしに駅の方へ行ったら、駅前のカストリ屋のオヤジが、
「オーイ、シイちゃん、シイちゃん(女中の名)さては、多摩川へ見合いに行くんだろう、ヤーイ、ヤーイ」
 用たしに行けなくなって、逃げて帰って来たのである。集団見合は、いたるところセン風をまき起している様子であった。
 いる、いる。ドテの上は新聞社、ニュース映画社、放送局、自動車だらけだ。アメリカのカメラマンまで出張している。
 たしかに一万をこす群集である。このなかに三千何人かの花ムコ花ヨメ志願者がいるのであるが、見合いという目的の仕事に従事しているのは殆どいない。もっぱら活躍しているのは、新聞社、映画社のカメラマンと、放送局のマイクロフォンである。あっち、こっちから、美女と美男をひっぱりだしてきて、あゝしろ、こうしろ、ひねくり廻して撮影する。
 それがすむと、ほかの社のカメラが、同じ美女をつれ去って、外の男と並べて、あゝしろ、こうしろ、撮影する。みんなそれをポカンと見物している。
 それがすむと、又、別の社のカメラマンが同じ美女をつれ去って、男と並べて――要するに、ほかに美女がいないのである。
 カメラマンの大活躍の陰の方に、ともかく見合いの仕事に従事して、東奔西走、なんとなくやっているのは、百名か二百名ぐらいのもの、その大多数は新聞社雑誌社の記者連中のニセモノどもである。ニセモノの花ヨメにも全然美女がいない。
 高木青年が手をふって呼びかけた。漫画の富田英三氏と一しょである。高木青年は私の入智恵に従い赤札をつけていたが、
「ダメですよ。男も女も赤札が全然ないですよ。タマにいれば六十の婆さんですよ」
 とウラミをのべた。
 彼は出場券づきの雑誌を改めて買ってきて、白札をつけて、やたらに十人並の女の子に狙いをつけて東奔西走しはじめたが、それとは知らずニセモノ同志が[#「ニセモノ同志が」は底本では「ニセノモ同志が」]ハチ合せをしているにすぎないのである。
 彼が女の
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