つた。痴川は確かに呆れた。確かに見当がつかなくなつたのである。
 伊豆が痴川を殺す気持になつたのは今に初まつたことでない。痴川は伊豆にとつては毒に満ちた靄であつた。いつたい痴川といふ人は見掛倒しの人ではあるが、見掛けは甚だ仰山な、その現れるや陰惨な翳によつて四囲を忽ち黄昏の中へ暗まし、その毒々しい体臭によつて相手の気持を仮借なく圧倒する底《てい》の我無者羅な人物であつた。身心共に疲れ果てた伊豆にとつては是程神経に絡みつく負担はないのであつて、初めは一種の畏怖と親しみであつたものが、逆に嵩じて、茫漠と眼界に拡ごり満ちる痴川の生存そのものを忌み呪ふ気持が伊豆の憔悴した孤独を饒舌なものにした。
 伊豆はうつかり痴川に手紙を書きだしてしまつたのである。初めは何の気もなく近況を書き送るつもりで、「私は君の生活力に圧倒されて、斯うして独りでゐると尚のこと君を怖れ、怖れと共に限りなく憎みたくなるのであるが」――といふやうな書出しのものであつたが、書きだしてみると次第に鬱積したものが昂ぶつてきて混乱に陥り、結論だけが妙に歴々と一面にはびこつてきてもはや激情を抑へる術もなくなつたので、改めて次の意味を率
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