いので是も苛々しながら同じやうな物々しい顔を向け合せてゐるに相違ない孤踏夫人の様子は見ものだらうと思つた。麻油は時々ふきだしたくなつて小笠原に頬ずりした。
小笠原は急に東京を去つた。小笠原は親しさに倦み疲れた。親しさのもつ複雑な関心に腐敗した。親愛な人々を見暮らす根気が尽きて、限りなく懐しみ乍ら訣別を急がうとする広々とした傷心を抱き、それを慈しんで汽車に乗つた。知る友のない海浜の村落へ来て、海を眺めた時、ほつとした。何物にも慰まなかつた小さな心が、縹渺《ひょうびょう》とした海の単調へ溶けるやうに同化してしまふのを感じて、爽やかな眩暈を覚えた。長い疲れの底に密封されてきて、もう悪臭を放ちさうな澱み腐れた涙が、やうやくたらたらと頬に伝ふのを感じた。毎日磯に寝て、飽くなく貝殻を玩んだり無心に砂を握つてゐたりして、甘い感傷に安らかな憩ひを覚えてゐた。
ある雨の昼、孤踏夫人へ海の便りを書いた。静かに雨の降る海のやうなひたすらな懐しさで、もし気が向いたら遊びに来てと書き、それを投函して、無論夫人は来るに違ひないことを知つた。又、長い疲れに似た、光の射し込まない部屋のやうな退屈が、雨の降る海から
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