なつかしげに、はア、こんな神社ですかネ、おかげ様で、はじめて、見ました、と云ったが、要するに生れ故郷の神社まで彼は知らなかったのである。ちなみに、彼は上諏訪の生れであり、現に両親もそこに住んでいるのである。こういう不思議な案内人に導かれて、私は富士見のサナトリウムへ行った。この案内人は、生れ故郷の四周にそそり立つあらゆる山々の名も知らなかった。こうして、私はそれ以来、時々富士見へ出かけたが、この案内人の水際立った不思議さが、結局、何よりの取柄であったようだ。ほかの思い出は、苦しいことばかりであった。
 然し、富士見のサナトリウムの患者たちは、私の訪れをいつもあたゝかく迎えてくれた。疲れきった私は、病人に同情され、病人が看護婦をつれてきて、葡萄糖やビタミンの注射を打ってくれたりしたが、透きとおるような皮膚をした青年たちと食事をしたりしていると、一そうこの山々がなつかしく、都会がうとましく思われるのであったが、皮膚のすきとおる青年たちは一様に山々を呪い、都会にアコガレをよせていたが、その思いは、まことに激しく、目覚ましいものであった。
 私は精神病院へ入院して、やがて病人たちを観察しはじめ
前へ 次へ
全20ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング