入することに悪戦苦闘しつゞけたのである。
 私は、然し、熱海よりも、より多く、諏訪を好んだ。然し、マッチ箱のような混雑した中央線で、七時間半もゆられることには体力的に堪えがたくなっていたので、そう多く行くことはできなかった。
 私が諏訪へ行くようになったのは、Wという若い友人が胸を病んで、富士見のサナトリウムに居り、彼をムリにそこへ行くようにさせたのも私であるから、彼を見舞う責任が私にあったせいである。
 富士見のサナトリウムといえば、いかにも白樺にかこまれた高原の詩趣にみちているようだが、実状は、高原のコヤシ臭い畑の中のもう廃屋に近いようなうそ寒いところであった。
 然し、汽車が、南アルプスから八ヶ岳、北アルプスへと、次第に山のふところへ深くはいって行く時、破れかぶれともいうような私の胸の思いが、いくらかでも、澄み、少年の日のような幼く淡い孤独に慰められる思いがしたのは事実であった。
 然し、乱雑な車中に吐き気を催し、いく度下車を志し、吐き気の苦痛と闘いつゞけたか分らない。私の気のせいかも知れないが、小淵沢《こぶちざわ》から乗る女学生徒に、可愛らしい娘の多かったこと、諏訪盆地の野良を
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