だ。だから理づめの将棋である。
 升田を力将棋という人は、まだ勝負の本質を会得せず、理と云い、力というものゝ何たるかを知らざるものだ。
 升田は相当以上のハッタリ屋だ。それを見て、升田の将棋もハッタリだと思うのが、間違いの元である。
 もっとも、升田の将棋もハッタリになる危険はある。慢心すると、そうなる。私は現に見たのである。
 昨年の十二月八日、名古屋で、木村升田三番勝負の第一回戦があって、私も観戦に招かれた。
 私が升田八段に会ったのは、この時がはじまりであった。
 手合いの前夜、新聞社の宴席へ招かれた。広間に三つテーブルをおく。三つ並べるのじゃなくて、マンナカへ一つ、両端へ各々一つずつ、離せるだけ離しておいてある。
 これは新東海という新聞社の深謀遠慮で、木村と升田は勝負仇、両々深く敵意をいだいている、同じテーブルに顔を合しては、ケンカにでもなっては大変だという、銀行や一般会社じゃ、こんなことまで頭がまわらぬ。新聞社雑誌社というものは、御本人も年中酔っぱらってケンカしているものだから、こういうところは行届いたものである。
 私と升田は同じテーブルで、こゝは飲み助だけ集る。升田は相
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