そして、又、云つた。オレは席のあたゝまるヒマもなかつたのだ。夜行でついて、すぐ対局して、又、すぐ引返す。それで負けないと思つてゐたんだ。それでも勝つのが当然、オレが負けるなんて思ひもよらない不思議だと思つてゐたね、と。
 オレは然し今度は負けると思つてゐた。時代だ。時代に負けると思つてゐた。古いものが亡びる時代だからね、と。
 すべては当つてもゐるし、当つてもゐない。その秘密は、当人が深く心得てゐるはづである。
 まさしく私も、いはゞその「時代」を感じてゐたのである。私は彼が負けると思つた故に、対局を見物にでかけたのだつた。それは然し、私にとつては「時代」ではない。彼はすでに負けるべきところに来てゐたのである。
 私が木村升田三番勝負を見物に名古屋くんだりへ出かけたのは、名人位を失つてからダラシなく負けこんでゐる木村に立直りのキザシを見たからであつた。特に升田にはストレートで負けつゞけてゐる。その年には挑戦者の四人の一人に加はることも出来ない。それにひきかへ、升田はA級筆頭で、自他ともに許す次期名人の候補であつた。私は木村が勝つかも知れないと思つたし、勝たせたいとも思つた。私は彼の立
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