夜対局地へくるなんてことはしないからね、対局の三日ぐらゐ前、おそくて二日前には対局地へついて、静養してゐるのだからね、と云つた。
升田は木村の一日前に名古屋へ来てゐた。その心構へに当てつけたワケではなかつたらう。彼の自戒とも自嘲ともつかないやうな心事と、それに若干の誇り、オレは立場上さうすることが出来なかつたんだといふ見栄も、いくらかは含まれてゐたかも知れない。
彼は十年不敗の名人であり、大成会の統領で、名実ともに一人ぬきんでた棋界の名士で、常に東奔西走、多忙であつた。明日の対局に今夜つくはおろかなこと、夜行でその朝大阪へついて対局し、すぐ又所用で東へ走り西へ廻るといふ忙しさであつた。彼はそれまでストレートで升田に負けてゐた。それは概ね東奔西走の間に於ける対局で、塚田に敗れて名人位を譲る七回のうちにも、あわたゞしい対局をいくつか行つてゐたといふ。それでも勝てる、と思つてゐたのだ。升田に敗け、つゞいて決定的な破綻、名人位を譲るといふ悲劇にあひ、彼の自信は根柢から崩れ去つたのである。
あれは二年前の六月六日であつた。覚え易い日附であるから、忘れることがないのである。中野のモナミで行は
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