人がハラキリをするやうなものであるから、まことにどうもインサンである。
 道場の壁板には段級名の名札がかけてある。皇宮警察といふやうな、お巡りさんの道場なのだらう。広さは広いが、安普請であつた。皇居内の建造物といふので、国宝級の重々しい建物を考へてゐた参観者には、案外なものであつた。
 柔道の畳だからバネが仕掛けてあるのである。そのせゐで、畳の上を人が一人歩いても、対局場がブルブルふるへる。どんなに静かに歩いてもブルブルふるへるのである。私は始め、十何間に二十何間といふ柱なしの建物の上に、安普請のせゐで、トラックが通るたびに揺れるのだらうと思つてゐた。
「今はいゝけど、夜になつたら、畳の上を歩く時に注意してもらはなくつちやア」
 と、木村は対局前にひどく気に病んでゐたが、私にはその意味がのみこめなかつた。対局前の道場は参会の人と各社の写真班で人だかりが出来て右往左往してゐるから、畳の上を歩くために揺れるのだといふことが分らない。
 ところが木村は、対局の前日、毎日新聞を訪ね、済寧館の下見をしてゐたのである。ここにも木村のこの一戦に賭けた心構へが見られるのである。十年不敗の名人位について
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