人がハラキリをするやうなものであるから、まことにどうもインサンである。
道場の壁板には段級名の名札がかけてある。皇宮警察といふやうな、お巡りさんの道場なのだらう。広さは広いが、安普請であつた。皇居内の建造物といふので、国宝級の重々しい建物を考へてゐた参観者には、案外なものであつた。
柔道の畳だからバネが仕掛けてあるのである。そのせゐで、畳の上を人が一人歩いても、対局場がブルブルふるへる。どんなに静かに歩いてもブルブルふるへるのである。私は始め、十何間に二十何間といふ柱なしの建物の上に、安普請のせゐで、トラックが通るたびに揺れるのだらうと思つてゐた。
「今はいゝけど、夜になつたら、畳の上を歩く時に注意してもらはなくつちやア」
と、木村は対局前にひどく気に病んでゐたが、私にはその意味がのみこめなかつた。対局前の道場は参会の人と各社の写真班で人だかりが出来て右往左往してゐるから、畳の上を歩くために揺れるのだといふことが分らない。
ところが木村は、対局の前日、毎日新聞を訪ね、済寧館の下見をしてゐたのである。ここにも木村のこの一戦に賭けた心構へが見られるのである。十年不敗の名人位についてゐたころの、東奔西走、夜汽車にゆられて寝不足で対局場へ駈けつけたころの彼ではない。二年間の名人位失格は彼に多くの教訓を与へたのだ。彼はもう根柢的に謙虚であつたし、一局の勝負に心魂をさゝげつくす勝負師であつた。対局前日に対局場の下見をして、人が畳の上を歩くたびに畳敷きの全体がブルブルふるへることも知つてゐたし、恐らく皇居といふと勝手が違つて、門衛だの、どつちへ行つたらいゝのやら、対局当日にはじめて出かけたのでは色々と慌てゝ取り乱すこともあるかも知れない。さういふ心配が起るのは当然で、一介の見物人にすぎない私ですら、対局場へ辿りつくまでは異様な気持であつた。
私自身のさういふ不安に思ひ合はせても、木村が対局前日に下見をしたといふ心構えには、彼の万全の用意が見られるのである。対局二日前に、湯河原ならぬモミヂの二階で酔つてゐた塚田と比べて、これらの心構えの相違はハッキリ勝負にでゝくるはづだ。塚田のあれは第四局目であり、第五局目ではなかつたけれども、もう遅い。あそこでまいた種がここで芽をだすのであり、すべてこれらの心構へといふものは、一朝一夕のものではない。十年不敗の木村は十年間にまいた種の累
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