つて、第四局で勝負をつけな、いかん」
 と升田が塚田をいましめて云つた。ほんとかな、と私は思つた。親友は、ほんとに、さう思つてゐるのかな。空々しかつた。
 第四局は果して木村が勝つた。私はさつそく文藝春秋社へ出向いて、第五局を見物して書きたいから、毎日新聞社へ許可をもとめて欲しいと頼んだ。
 まもなく、こんな噂が伝はつてきた。升田が人に云つてゐると云ふのである。オレは塚田とは親友だが、今度は親友が負けて、木村が名人位を奪還するだらう、と。彼には分る筈である。升田は人間の勝負心理については、文士のやうに正確に知つてゐる。私がモミヂの二階で感じたよりも、もつと深く、彼は親友の敗北について感じてゐたかも知れない。

          ★

 第五局は、皇居内の済寧館で行はれるといふ思ひもよらぬことゝなり、大手門を通過する為の胸につける造花などが届けられて、私は慌てた。私はネクタイをもたないから、先づネクタイの心配から始めなければならない。どうも礼儀は苦手であるから、心細い思ひをしたものだ。
 自動車で乗りつけなくちやア悪からうと、東京駅からタクシーに乗つたが、滑りだして一分間ぐらゐ、ハイ、大手門です、と降された時にはテレました。門衛が五六名ゐて、当日参観者の名簿に照し合はせて通過を許してくれる。
 皇居内と云つても大手門をくゞつて、とッつきに在るのが済寧館で、誰でも行けるパレスコートがもッと奥手にあるやうである。私の到着が九時四十五分。対局開始の十時に十五分前であつた。
 下駄箱の並んでゐる玄関があつて、小学校のやうである。すぐ道場へ行つてみると、なんとも広い道場である。柳生の道場が十八間四面といふのは講談本でオナジミであつたが、こゝは矩形の道場で、玉座を中に、剣道と柔道に二分され、柔道の方は四囲に板の間を残してチョボ/\と畳がしかれてゐる。その畳が百三十五畳あつたやうだ。道場全部を通算すれば、どれぐらゐの広さになるのだか、キャッチボールはおろかなこと、子供は野球ができるのである。
 畳敷きの上の玉座寄りに緋モーセンを敷き、三方を四枚の屏風でかこつて、八畳ぐらゐの対局場ができてゐる。ボンサイだの木彫などの飾り物がおいてあるが、こんな物でも運んでこなければ殺風景で困つたらう。一見して、どうしてもハラキリの場といふ舞台面である。それ以外の何物でもない。事実に於て、どちらか一
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