戦に興味を失つてゐたから、
「木村があゝボケちやア、見物にでかけるハリアヒもないよ」
と云ふと、実に、その時であつた。塚田升田の態度が同時に改まつた。そして、二人が、まつたく、異口同音であつた。
「イヤ、今度の三局目はさうぢやなかつた」
升田は坐り直して、名人戦一席の浪花節でも語るやうにギロリと目をむいて、唸るやうにあとを続けた。
「第三局は驚くべき闘志だつた。負けて駒を投じてからも、闘志満々、あとの二局を見てゐろ、といふ凄い気魄がこもつてゐた。今までの木村ぢやない。驚くべき気魄だ」
「今までの木村ぢやない」
と塚田が和した。驚くほどキッパリした言ひ方であつた。
それは私に色々の思ひを与へた。まつたく、異口同音であつた。しかも、二人の態度が同時に改まつて、私の言葉をきびしく否定したのである。反射的に、そゝつかしいほどセッカチに物を言ふ升田と、感情を表はすことのない塚田の二人が、この時に限つて、まつたく同じ一人のやうな物の言ひ方をした。木村の闘志、この次を見ろといふ凄味のある気魄、今までの木村ではないといふ実感が、歴然と頭にしみ、木村の鬼のやうなマッカな顔が彷彿とした。
塚田までが、反射的に、態度を改めて云ふからには、よほどのことであらう。それにひきかへ、塚田の方は、翌々日の対局をひかへて、これでいゝのだらうかと私は思つた。女をかこつてみたいなどゝ、変に真剣味のこもつた云ひ方をするところに、塚田の不安定な気持がこもつてゐることなどが、私の頭によみがへつてきた。
木村が名人位を失つたころのオゴリたかぶつた様とアベコベである。私は塚田が第四局に負けるだらうと思つた。然し、勝つかも知れない。けれども、もしも第四局を失つたら、第五局は必ず負けると思つた。なぜなら、木村が名人位を失ふ時に漠然と「時代」を感じて敗北の予感に怖れたよりも、もつとノッピキならぬ切実さで、塚田は追ひつめられるに違ひないから。なぜなら、十年不敗の木村が塚田の実力を怖れたよりも、今日の塚田は十年不敗の木村の実力を知つてをり、その木村が闘志と気魄で第五局目の彼を威圧するに相違ないからである。モミヂの二階では、まだ闘志を感じてゐるだけで怖れずに済んでゐるが、四局を失つたあとの五局目では、ノッピキならぬ恐怖の対象となつて彼の前を立ちふさぐに相違ない。
「第五局があると思つちやいかん。あとはないものと思
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