る人々に夢がある。この現実は如何なる幸福をもつてしても満し得ず、そして夢は束縛の鎖をきつて常に無限の天地を駈け狂ふものであつた。それを許さずに、どうして人が生き得ようか。又、夢すらも持ち得ぬ人を、どうして愛しなつかしむことが出来ようか。人に魅力がありとすれば、その胸に知り得ぬひめごとが有るからであり、その胸に夢も秘密も失せ果てたとき、何人が無慙なむくろを愛し得べき筈があらうか。
 然し、素子の夢とは? この現実の束縛を逃れて、素子は何を夢みてゐるのであらうか。夢の中に、仁科を思ふこともよい。然し、仁科の何を思ひ、何を夢みてゐるのであらうか。
 谷村は二人の男の媚態に就て考へる。二人の男は、自分の知り得ぬ素子の心、ひめられた素子の夢の在り方に就て知り得てゐるのではないか、と。この現実では満し得ぬ素子の夢、そして、素子の満し得ぬ現実とは彼自らに外ならぬのだが、要するに素子の夢は彼に欠けた何かであり、素子の夢を知り得ない唯一の人は彼自らであるといふ突き放された現実を見出さゞるを得なかつた。
 俺が死ぬ、すると素子はいつたいどこへ歩き去つてしまふのだらう? 谷村は常に最悪を考へた。そして、最悪以外に考へることができなかつた。谷村は死ぬ怖れに堪へ得なかつた。
 考へすぎてはいけないのだ、と谷村は思ふ。このさゝやかな現実、さゝやかな生命に、精一ぱいのいたはりと愛情だけをそゝがなければ、と。
 然し、谷村は熱烈な恋がしたいと思つた。肉体といふものゝない、たゞ精神があるだけの、そしてあらゆる火よりも強烈な、燃え狂ひ、燃え絶ゆるやうな激しい恋を。その恋とともに掻き消えてしまひたい、と谷村は思つた。



底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
   1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二四巻第七号」
   1946(昭和21)年9月1日発行
初出:「文藝春秋 第二四巻第七号」
   1946(昭和21)年9月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年6月12日作成
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