無反省な娘のやうに、全身的で、没我的であつた。素子の貪慾をみたし得るものは谷村の「すべて」であつた。谷村の痩せた額に噴きあがる疲労の汗も、つきせぬ愛の泉のやうになつかしく、いたはり拭ふ素子であつた。
谷村は人並の労働の五分の一にも堪へ得ないわが痩せた肉体に就て考へる。その肉体が一人の女の健康な愛慾をみたし得てゐることの不思議さに就て考へる。あはれとはこのやうなものであらうと谷村は思つた。たとへば、自ら徐々に燃えつゝある蝋燭はやがてその火の消ゆるとき自ら絶ゆるのであるが、谷村の生命の火も徐々に燃え、素子の貪りなつかしむ愛撫のうちに、やがて自ら絶ゆるときが訪れる。
献身の素子と、貪婪《どんらん》な情慾の素子と、同じ素子であることが谷村の嘆きをかきたて、又、憎しみをかきたてた。情慾の果の衰へがやがて谷村の季節々々の病気につながることすらも無自覚な素子に見えた。献身は償ひであらうか。衰亡は死によつて終り、献身は涙によつて終るであらう。数日の、たゞ数日の、涙によつて。
然し情慾の素子と献身の素子には、償ひと称するやうな二つをつなぐ論理の橋はないのだと谷村は思つた。素子は思慮深い人であるから
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