素子は谷村といふ人間と、谷村とは別の病気といふ人間と、同時に、そして別々に、結婚してゐるのではないかと谷村を疑つた。
一年に幾たびかある谷村の病気のときは、素子は数日の徹夜を厭はず看病に献身した。煙草をすはぬ素子であつたが、看病の深夜に限つて煙草をふかすことがあるのを、谷村はそれに気付いて、あはれに思つた。
「たばこ、おいしい?」
「えゝ」
「何を考へてゐるの?」
「考へることがないからなのよ」
病む谷村は夜を怖れた。眠りは概ね中断されて、暗闇と孤独の中へよみがへる。悪熱のゑがく夜の幻想ほど絶望的なものはなかつた。夜明けの祈り、たゞその一つの希望のために、悶死をまぬかれてゐるやうだつた。
その苦しみに、素子ほどいたはり深い親友はなかつた。枕頭に夜を明し、絶望の目ざめのたびに変らざる素子の姿を見出すことができ、話しかければ答へをきくことができた。素子は本を読んでをり、書きものをしたり、縫ひ物をしたり、又、あるときは煙草をくゆらしてゐた。薄よごれた眠り不足の素子の顔を胸に残して、谷村は感謝を忘れたことがない。
然し、それのみが素子ではなかつた。
夜の遊びに、素子は遊びに専念する
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