どもは三千円のお金なんて、もう何年も見たことがないわ」
 素子は三千円の金の包みを岡本に返して、立上つた。そしてキッパリ言つた。
「金額だけの問題ではございません。私どもは先生の正しいお役に立つことにだけ手伝はせていたゞきたいと思つてゐます」
 そのまゝ素子が立去る気配を示したので、岡本はよびとめた。
「奥さん」
 岡本の顔がくしや/\ゆがんだ。岡本は素子をよびとめるために左手を抑へるやうに突きだしてゐた。その手がゆるやかに戻つて、なぜだか自分の顎を抑へた。同時に右手で腹を抑へた。そして顔をグイと後へ突きのけるやうな奇妙な身振りをした。すると突然ヒイといふ声をたてゝ泣きふしてゐた。
 あさましい姿であつた。素子はそれを見すくめてゐたが、すぐ振向いて立去つてしまつた。谷村には一瞥もくれなかつた。

          ★

 岡本の女のひとりに藤子といふ人があつた。彼女も昔は岡本の弟子で、一時は喫茶店の女給などもしてゐたが、岡本と手を切つてのち、今では株屋の二号になつてゐる。谷村の散歩の道に住居があるので、時々立寄ることがあつた。五尺四寸五分とかの良く延びた豊艶な肉体美で、絵を書くよりも
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