谷村が素子を恋するよりも、決してより少く谷村を恋してはゐなかつた。技巧と解すべきか、真実の魂の声と解すべきか。或ひは又、女にとつては真実と技巧が不可分なものであるのか。その解きがたい謎に就て、谷村が直面した第一歩であつた。
 二人の年齢が一つしか違はないから、といふ、それに補足して素子は言つた。女は早く老けるから。そしてあなたはいつか私に満足できなくなるでせう、と。けれども事実はあべこべであつた。そのときから十一年、谷村は三十八となり、素子は三十七になつた。素子はいくつも老けないやうに思はれた。素子には子供がなかつた。子供が欲しいと思はない? と素子が言つた。すると谷村は即坐に答へた。あゝ、欲しいさ。そのおかげで、君がお婆さんになるならね。
 素子の皮膚はたるみを見せず、その光沢は失はれず、ねつちりと充実した肉感が冷めたくこもりすぎて感じられた。谷村はそれを意識するたびに、必ずわが身を対比する。痩せて、ひからびて、骨に皮をかぶせたやうな白々とした肉体を。その体内には、日毎の衰亡を感じることができるやうな悲しい心が棲んでゐた。
 俺が死んだら、と谷村は考へる。素子は岡本のやうな好色無恥な
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