然さで事務的な処理も行ふのだ。かゝる情慾の行ひが素子の人生の事務であり、人生の目的であり、生活の全てであると気付くのはその時であつた。谷村は目をそむけずにゐられなくなる。彼は一人の情慾と結婚してゐる事実を知り、その動物の正体に正視しがたくなるのであつた。然し素子はそむけられた谷村の目を見逃す筈はなかつた。その眼は憎しみの石であり、然し概ねあきらめの澱みの底に沈んでゐた。
 素子は素知らぬ顔だつた。谷村の痩せた額に噴きだした疲労の汗をふいてやるのもその時だつた。彼が憎めば憎むほど、いたはりがこもるやうだつた。それはちやうど、坊やはいつもこの時に拗ねるのね、とからかふ様子に見えた。それに答へる谷村は益々露骨に首を捩ぢまげ、胸をひき、身をちゞめる。その上へのしかゝるやうにして、そむけた頬へ素子が濡れた接吻を押しつけるのもその時であつた。
 素子とは何者であるか? 谷村の答へはたゞ一つ、素子は女であつた。そして、女とは? 谷村にはすべての女がたゞ一つにしか見えなかつた。女とは、思考する肉体であり、そして又、肉体なき何者かの思考であつた。この二つは同時に存し、そして全くつながりがなかつた。つきせぬ魅力がそこにあり、つきせぬ憎しみもそこにかゝつてゐるのだと谷村は思つた。

          ★

 素子は谷村の揶揄に微塵もとりあふ様子がなかつた。けれども素子は態度に激することのない女であつた。腹を立てゝも静かであり、たゞ顔色がいくらかむつかしくなるだけだつた。
「あなたは先生をやりこめた覚えはないと仰有るでせう。そして反撥したゞけと仰有るのでせう。子供の話にあるぢやありませんか。子供達が石投げして遊んでゐると蛙に当つて死ぬ話が。子供達には遊びにすぎないことが、蛙には命にかゝはることなんです」
 と素子はつゞけた。
「私にも先生の肚は分つてゐます。誰にだつて分りますよ。思慮の浅い人なんですから。お金が欲しくて堪らなければ誰だつてあさましくもなるでせう。藁に縋りついてゞも生きたいものだと言ひますから、なけなしの肩書ででも、消えさうな名声でも、ふり廻せるものはふり廻して借金の算段に使ふのも仕方がないぢやありませんか。、野卑な魂胆しかないくせに芸術家然とお金をせびられては誰だつて厭気ざさずにゐられません。私は女ですから人のアラは特別癇にさはります。先生の助平たらしい顔を見るのも厭です
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