女占師の敵意の視線をかはすことに、コクトオとは質の違つた自由奔放な武者ぶりを見せる人です。武者ぶりどころではありません。これはもういささか野人ぶりの領域で、傍若無人な無仕放題のひとつのやうながさつ[#「がさつ」に傍点]なものです。ジイドのやうに地味で着実な内省一方の無芸ぶりでは、煽られ一方であつたでせう。
アルヂェリヤか乃至はそのへんの植民地の町のことです。俺はこの町を堕落させるのだと豪語して、ワイルドは金を路上にばらまきながら、それを拾ふ人々のひしめきをしりへに街を闊歩いたしました。さういふワイルドの内省の不足さや幼稚さがジイドにはいまいましい阿呆なものに見えたでせうが、傍若無人な放出ぶりに気分の上では不安と敗北を感ぜずにゐられなかつたと思ひます。すくなくとも私には、あの文章の行間に、その種の対人関係からくるジイドの反感を読まずにはゐられなかつたのです。
もしも作家が作品の前に自己を知つてしまふなら、彼の作品は自我のために限定され、己れの通路と限界の内部でしか小説を書き得なくなつてしまふ。さういふ意味のことをジイドは「ドストエフスキー論」に書いてゐました。すぐれた作家は作品の後に
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