では、シュバリエも及びもつかない斬新な応接ぶりで、同じ場合を二度見る人には変化の妙を伝える程度の退屈させない如才のなさまで行きとどく縦横無尽変幻自在の妙技に酔はしてくれるでせうが、やがてそのことがかの解きがたい内部の世界に不運な通路と限定を与へなければ幸せです。
 アンドレ・ジイドの「オスカア・ワイルドの思ひ出」を読んでから思へば十年の歳月が過ぎたやうです。私はあれを私達の同人雑誌へ載せるためにあらかた翻訳し終つたとき、河上徹太郎が何かの雑誌に訳載しだしてしまつたので、断念したきり、原稿の行方も分らずじまひです。
 あの文献に対して、私はスクレ・プロフェッショネルな楽屋落ち以上に勝手な聯想を働かせて、ひとりで悦に入りながら読んだやうな覚えがあります。私にさういふ読み方をさせるやうな、聞きての役に適当した長島|萃《あつむ》といふ相棒がそのころ健在であつたせゐです。この才人は夭折しました。
 私はあの文章の中から、ワイルドの野人ぶりを軽蔑しながらそれに敗北しつづけたジイドの一人相撲の反感を自分勝手に読みだして、あの文献の直接の興味と別な私《ひそ》かな興に面白がつてゐたのです。
 ワイルドは
前へ 次へ
全32ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング