を読んで医学一般を論じるやうな話ですが、私は隠元が好きなのです。精進料理のパンフレットからとりあげて二つの理由を挙げますなら、人の交りは飲食によつて深められるといふ見解から日日の行事のうちで特に食事に重きを置いたといふ彼にも好意がもてますし、日本渡来の事業として布教よりも第一に万福寺の建築に心血をそそいだといふ彼も好きです。最高の内容主義はやがて最高の形式主義に至らざるを得ないからです。
私の知る限りでは京都府内に於て黄檗山万福寺ほど均斉の意志を感じさせる伽藍はありません。渋味のうちに籠められた甚だ清潔にして華麗な思想や、色彩の趣味や、部分的には鐘楼と鼓楼の睨み合つた落付など、均斉の意志といふことは別として一面人に泌みるところの現実の安定感を思ふだけでも、恐らく隠元その人は遠く狂者と離れた人で、隠元豆の円味すら帯びた人格であつたかも知れません。私自身の思ひとしてもその想像が自然です。
然しまた次に述べる想像も自然であります。この伽藍は熱帯のなんとかいふ特殊な材木を用ひてゐるさうですが、まづ用材にからまることは度外視して、ここに仮りに根太《ねだ》や垂木《たるき》や棟によつてぎつしりつ
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