混乱であり、また危なさにすぎないのです。均斉の極めて小さな一角が崩れても忽ち血潮と共に喉から溢れて迸るやうな悲鳴が思はれぬこともないのですが、然しそこまで明瞭に言ひきることも、言ひ過ぎといへばまた言ひ過ぎにほかなりません。
宇治の黄檗山《おうばくさん》万福寺は純支那風な伽藍ですが、京阪電車を利用すれば、私の住居から遠い距離ではありません。特殊な関心がありうる筈もないのですが、一度偶然あの寺を訪れ、門前の白雲庵といふところで精進料理を食べてから、京都の事情に暗い私は下洛の友達があるたびに主としてここで飲食にふけることが習ひのやうになつたのです。
黄檗山万福寺は隠元の指揮によつて建築された伽藍であります。私は隠元が元来支那の人であるのを知らずにゐて、この寺の宝物を見るに及び、彼が異邦の人であるのを知ると同時に、彼が支那から帯同した椅子や洗面器の類ひを見て、彼に対する親しさを肉体的なものにまで深めるやうな稀れな感傷のひとときを持つたりしました。私は隠元の思想に就いては知りません。わづかに白雲庵発行の精進料理のパンフレットによつて彼の思想の一端にふれただけにすぎませんから、いはば仁丹の広告
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