うに乱暴な原因によつて惹き起される無数の悲劇はもとより涙には価せず、恐らく茶番に終らざるを得ないでせう。私は茶番の退屈さには堪えられません。
私とて然し自然の声によつて何事か永遠を希はずにゐられないひとときの思ひもあるのです。さういふ声の泌《し》みるがやうな自然さに逢ふと、私もつひに本能的な恐怖をもつて、私の裡の世間を怖れるのであります。
十八歳の私は白眼道人なにがしの妻女の言葉に冷然としてええと応じることもできたのですが、今日もなほそのやうに冷静に応じうるや否やは分かりません。恐らく応じ得ないでせう。なぜなら私は私自身の真実を信じ所信を愛すこと十八年代の比ではないが、また世間の虚偽の真実よりも甚しい真実さを余りに身をもつて知るところの悲しむべき世間人でもあるからであります。
あの映画の中に於てもさうでした。男はその愛人に向つて私は色魔ですと言つてゐました。饒舌を性とする白人に比し言葉の無意味と退屈を感じることに慣れてゐる我々日本人の常として、私も亦もとより鼻につく厭味を犯してまで私の愛人に向つて私は色魔ですと殊更言を弄した覚えはありません。けれども私は言ひたかつた。そして心に言つてゐました。なぜなら彼女にそのことを言はれることが甚だ苦痛であつたからです。私と「生きてゐるモレア」の場合のみではないでせう。己れの愛のみの永遠を信じそして自分の場合のみの男の特殊な愛情を信じはじめた女性の前では、その愛人であるところの恐らくすべての理知人が同一の科白を各々の様式によつて表明し、あるひは表明したい意慾だけは持つでせう。
私は然し自ら私は色魔ですと名乗ることの卑屈さに堪へがたいのも事実です。そして自らの卑屈さをいやしむ結果、その卑屈さを強ひるかに見えるところの世間、そして現にその世間の唯一にして全ての化身であるところの愛人に向つて、たゞそれだけの内攻から唐突に怒りを燃やし、また一場の気分としては絶縁を迫りたくもなるほどでした。愛情の最頂点に於て私は最も卑屈たらざるを得ないゆゑ、また愛情の最頂点に於て私は甚だ軽卒な気分に駆られて愛人を冒涜し軽蔑に耽ることを常とした記憶があります。
紅毛人の習慣に馴れない私は本来言葉のもつ誇大性や断定性に多くの場合堪へがたいので、心中に無数の言葉を蔵してゐても、おほむねそれを語らずに終ることが多いのです。かつて暫しの生活を共にした女に向
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