けた高名な易者の甥で、かつその家に寄食してゐました。十八歳の時のことです。一日彼を訪問しますと、白眼道人なにがしの妻女は生憎窓がないために白昼もまつくらな茶の間で長火鉢の前に坐り、薄暗い電燈の光の下で挨拶する私を見やりながら、だしぬけにお前さんは色魔だねと言つたのです。私は薄笑ひすら洩らさぬほど冷静であつたやうに記憶しますが、やがてええと答へただけにすぎませんでした。
私は中学生のころ学校所在区の不良少年の群れに親しまれ好んで彼等と交つてもゐたが、私自身は不良少年ではなかつたのです。私はただ過剰すぎる少年の夢をもてあまし、学校の規律にはどうしても服しきれない本能的な反抗癖と怠け癖とによつて、日毎に学業を怠ることに専念し、当時からすでに実際は発狂してゐた沢辺といふ秀才や白眼道人の甥などを誘ひ、神楽坂の紅屋や護国寺門前の鈴蘭といふ当時社会主義者の群れが入り浸つたまつくらな喫茶店で学校の終る時間まで過してゐました。たまたま鈴蘭に手入れがあつてここに入り浸つた中学生は一応全部取調を受け、その大半は退学処分を受けたにも拘らず沢辺狂人や私の一派は本来の不良ならずといふ意味ですか、保護者すら知らずに許るされてゐたやうな出来事などがあつたのです。沢辺狂人と私は悟入を志して仏教を学び牛込の禅寺へ坐禅を組みにでかけたりなどしてゐた可愛気のない中学生でもありました。
後年私の為すところが世間の常識によつてはやや色魔にも類すべき種類のものであることを私は認めてゐるのですが、中学生の私は子供にしてはひねくれた理知と大人の落付きを備へた美少年であつたとはいへ、過剰にすぎる夢のゆゑに現実を遠くはなれ、少年よりもむしろ少年であつたやうです。私の生涯に於て私を色魔と称ぶところの先駆者の栄誉を担ふ人は当然白眼道人なにがしの妻女でありませう。彼女はその花柳界育ちの眼力によつて私自身が知る以前に私の本性を看破したのでありませうが、十八歳の中学生を一眼みるや唐突にお前さんは色魔だねと浴せかけたひとりの女の実在を思ふと、この場合に限りむしろ不安であるよりも幾分失笑を禁じ得ません。
私は然し敢て私の弁護ではなく一応世間人の大胆すぎる常識を批難せずにはゐられない。人々はその各々の愛情の始めに当つて、どうして恐れげもなくその愛情の永遠を誓ひ合ふのでありませうか。それはまつたく乱暴なことであります。そしてそのや
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