た筈だ。なぜなら、坊主の勉強から脱け切つてゐたわけではない私にとつて孤独といふことは尚主要な生活態度であり、私はあまり広い交游を好んでゐなかつた。私はもう当時の事情をみんな忘れてしまつたけれども、雑誌がはじまるまで私の友達といへば長島|萃《あつむ》がたつた一人であつた筈で、私自身が雑誌を発案する筈はない。私は同人雑誌といふ存在すら実際知らなかつたのである。
「言葉」は二号でただけで「青い馬」と改題し、岩波書店から発売することになつた。之は同人の葛巻義敏が芥川龍之介の甥で、芥川の死後は芥川家を代表して彼が専ら遺稿の出版に当つてをり、そのころは二十を一つか二つ過ぎたばかりの(或ひは二十の)若さであつたが、全責任を負ふて岩波の全集出版に当つてゐた。それで岩波も葛巻の申出を拒絶することができなかつたのであるが、この良心的な然し尊大な出版屋を屈服させた葛巻の我儘は私を驚愕せしめたものである。葛巻は私を誘ひ(二人が編輯に当つてゐたから)岩波書店の出版部長をよびだし、神田一円の表通り裏通りを当もなくグル/\と歩き廻りながら、岩波が言を左右にして申出をはぐらかす曖昧な態度を難詰し、芥川全集の出版は中止
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