花形で、彼らに比べると私はとても駄目だと思つてゐた。芸術などは国境すらもないもので、インターミドル一だの日本一だのといふことすら許されない絶対のものだと考へてゐたから(私は中学時代「絶対の探求」「文学の本質」いづれも同じ著者、その名を失念、を耽読した)とうてい自分の近づき難い世界だと諦めてゐたのである。その頃最も読んだのは谷崎潤一郎で、読む度ごとに自分の才能に就て絶望を新にするばかりであり、正宗白鳥、佐藤春夫、芥川龍之介など、いづれも愛読といふよりは自ら絶望を深めるための読書であつた。当時隆盛な左翼文学に就ては、芸術的に極めて低俗なものであつたから全く魅力を覚えなかつた。もしあの当時左翼芸術に高度の芸術性があつたなら、私の今日もよほど違つたものになつてゐたと思ふ。志賀直哉、それから自然派の文学を私は当時から嫌つてゐた。
それで私はとても一流の才能なしと諦めて坊主にならうと考へたのであるが、それでも折にふれて小説を読み、それは大概語学の勉強のためであつたが、特にチェホフの短篇の英訳は耽読した。特に「退窟な話」の感動は劇しいもので、何度とりだして読み、溜息をもらしたか分らない。
坊主の
前へ
次へ
全13ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング